W.H.ホワイトほか『爆発するメトロポリス』(1957年)

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建築・都市論

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紹介文

1950年代のアメリカでは、経済的な成長と急速な都市化の影響により、人々の間で「中心市街地から脱出し、郊外に家を買って、自家用車で通勤する」というライフスタイルが確立した。そういった郊外が無秩序に、じわじわと拡大していた状態がいわゆる「都市のスプロール化」と言われる現象だ。本書は、そんな都市のスプロール化という問題に対し、W.H.ホワイトやジェイン・ジェイコブズといった人々が批判を加えている。本書で議論されているようなことは、たしかにもう既に乗り越えられたことなのかもしれない。しかし、それでもなお本書は、「人々が郊外に引き寄せられた理由」や「都市に住む魅力」について考えさせてくれる。また、W.H.ホワイトの『都市とオープンスペース』ならびに、ジェイン・ジェイコブズの『アメリカ大都市の死と生』誕生の前日譚としても興味深い。

本書のテーマ

本書のテーマは、「都市のスプロール化(郊外の拡大と人口の流出)とそれにともなう中心市街地の衰退やモータリゼーションなどの課題」である。そのようなテーマについて、本書は、都市住宅再開発問題(第1章)、交通問題(第2章)、市政問題(第3章)、スラムの拡大(第4章)、都市のスプロール化(第5章)、ダウンタウン(第6章)など多角的な視点から論じている。また、本書はW.H.ホワイトの『都市とオープンスペース』ならびに、ジェイン・ジェイコブズの『アメリカ大都市の死と生』の中心的な議論の萌芽を見ることができるという意味でも、読んでいて面白い。それでは、早速内容に入っていこう。

都市のスプロール化とは?

都市のスプロール化とは、よく聞く言葉ではあるが、具体的にはどのような状態のことを指すのだろうか?W.H.ホワイトは、1950年台当時の都市問題について、「現在起こっていることは郊外化である」と言っている。つまり、都市のスプロール化とは、「郊外に開発された低密度の住宅街に人々が移住することによって、市街地やオフィス街を中心とした都市圏がどんどんと外側に広がっていくこと」を指すのである。しかし、ではなぜ都市のスプロール化が起こるのだろうか?いいかえれば、人々はなぜ都心部を捨てて、郊外へ移住するのだろうか?

ホワイトらの理解によれば、人々が都心部から逃げる理由には、まず「都市の騒音、ほこり、混乱、多様性、集中性、緊張感、喧喋」を嫌ってしまうということがある。これは現在密集した市街地に住んでいる人にも言えることだ。都市空間は狭々しくて、高層のビルやマンションが建っている所ではなんだか圧迫感を感じる。場所によっては夜中にうるさくする人がいたり、近隣トラブルに巻き込まれたりする。たくさんの車が排出する排気ガスは、なんだか汚い感じがする。またいわゆるスラム街と言われている地域の中には、犯罪が頻発する地域もある。そういったところの近くに住むのはなんだか怖い。くわえて、伝統的な都市デザイン理論にもとづいて造られた団地やビル、マンションなどは、経済的な効率はいいのかもしれないが、非常に画一的で無機質で、面白みがない。都市の憩いの場としてつくられたはずの公園は、「芝生に立入禁止、洗車禁止――この場所は荷捌き専用、遊び場での自転車禁止、私有地につきみだりに立入禁止、無許可駐車禁止、等々でどこをみても戒めの立礼ばかり」で、自由に遊ぶこともできない。街路を歩いてみても、「目を見張らせるようなものや、親近感を抱かせるもの、人間のスケールに近いものは、この種の計画には盛り込まれていない」。だから、非常につまらない。そういう息苦しさや退屈さ、危険性などを感じながら暮らすよりかは、校外でのんびりと暮らしたい。人々にはそんな願望があったのだろう。

そんな願望を駆り立て、またその夢の実現を可能にしたのが、アメリカという国の経済的な成長と当時急激に普及したテレビによるコマーシャル、自動車の普及などの要因である。つまり、大量生産・大量消費社会の到来によって、経済が活性化し、人々の生活水準が上がったため、人々は嫌気が差していた都市での生活を捨て、「郊外から車や電車で都心へと通勤・通学する」というライフスタイルが実現したのだ。そうして都心部から人が流出していった結果、都心部は郊外に住宅を持つことのできない極貧者か、高級住宅街やマンションを購入し、ガードマンなどを雇うことのできる大金持ちか、「そうでなければ、変り者」しか残らなくなってしまい、活力が非常に低下してしまった。これが、都市のスプロール化に付随する中心市街地の衰退である。

都市のスプロール化(郊外化)の弊害

そのような都市のスプロール化は、そのほかにもさまざまな弊害を引き起こす。例えば、都心部から人口が流出することによって、中心市街地のスラム化がさらに悪化するということがある。つまり、その地域の活力が低下してくると、商店や中小企業がその地域での営業を断念して、ほかの地域に移転してしまったり、失業者が増えることによって暴動や犯罪が起こる可能性が高くなるために、ますますその地域のイメージが悪くなる(負のスパイラルに陥る)といったことだ。また、郊外化の開発が進み、新しい郊外住宅地が増えるに従って、それだけ、そこに住む人々が都心へアクセスするための道路、あるいは都心部で渋滞を解消するための道路を整備しなければならなくなる。そうなると、自治体にとっては道路の整備費がかさむ一方、都市とその周辺における道路の割合が上昇し、徴収できる固定資産税が減収してしまうことになる。くわえて、郊外住宅地は低密度、つまり、人々が広範囲に分散して分布しているために、郊外に住む人々の生活を支えるために必要な公共サービス(ごみ収集、下水、上水、暴雨排水、消防・病院など)の提供効率も悪化する。その結果、人々は思わぬ大きな税負担に苦しむことになり、同時に家計の消費意欲が落ち込むために、郊外に大きなショッピング・センターを運営することによって収益をあげようとしている大規模開発業者も困ることになる。郊外住宅地と都心部をつなぐ道路の道すがらには、いろいろな看板やホットドッグ・スタンドが立ち並ぶことになる。そうなれば、景観は台無しになる。オープンスペースの無計画な開発は、それまで土地を所有していた農家の生産を低下させ(土地を切り売りするから、作付けの効率が悪くなる)、新しく入ってきた人々との間に、新たなトラブルを生じさせる。そして、結局放棄されてしまった農地や開発されてしまった豊かな自然は取り返しがつかないほどに荒れてしまう。人々が通勤・通学にかける時間はどんどんと長くなり、夢に見た郊外の家で過ごす時間を目減りさせてしまう。当時はまだそれほどまでには注目されてはいなかっただろうが、現在から見れば、ガソリンなどの資源の浪費や排気ガスによる環境汚染といったことも問題になるだろう。そのように、「都市圏周辺部の無統制な開発が都市圏の限界を膨大に広げてしまっており、同時に周辺部の多くを破壊してしまっている」。これらが、無秩序な都市のスプロール化(郊外化)の弊害である。しかし、ではなぜこのようなスプロール化に歯止めがかからないのだろうか?

中心市街地のスラム化

この点、もちろんその原因は、先に挙げたような都市に住むことのデメリットが解消されないからと言うことができる。本書においては、その原因のひとつであるスラムの問題が取り上げられている。D・セリグマンの理解によれば、スラム街とは、多くの不良住宅(老朽した、不潔な、ねずみのいる、また適切な暖房、照明、配管のない住宅)が立ち並び、主に低所得者の人々が暮らす地域である。そして、そうした低所得者の大半は黒人や20世紀前半にアメリカの大都市に押し寄せた移民の人々である。そういった移民の人々は、往々にして満足な教育が受けられないため、あるいは先行してやってきた人々のコミュニティから敬遠されるために、正規の職に就くことができず、生きるために強盗や略奪をしたり、自分たちの仲間内で徒党を組んだりする。「移動者たちは都市をきたなくし、略奪することの、そして都市の財政を悪化させることの大きな原因となっている。スラムに吸い込まれている移動者は半文盲の低所得者で、田舎出身で、小数人種である傾向がある」ということだ。まずこうした「なにをするか分からない輩」の存在がその地域のイメージを悪くする。くわえて、ヨーロッパや中南米からの移民は絶えず押し寄せるため、いつの間にか政治的に無視できない数にまでその数が増大する。そうなってくると、「都市の人口構成の変化が、独自の〈力学〉をつくり出し、取扱いがほとんど不可能になっている。田舎出のニグロは半端な所に住みつき、新しいスラムをつくりだしている。それは白人に都市内居住をあきらめさせ、都市から転出させてしまうのである」。

また、いわゆる人種差別の問題もこのスラムの問題に拍車をかけている。つまり、黒人であるというだけで白人のコミュニティからは「危険人物」というレッテルを貼られ、スティグマを押しつけられる。そうしたスティグマによって、社会的な上昇が困難になり、結局、そのレッテルが自己成就的するような行動を取らざるを得ない。こうしたスパイラルもまた、スラムを「危険な場所」、「怖い場所」とすることを加速させていた。「奇妙にもニグロに対する偏見の深さが、ニグロ・スラムの急速な拡大の原因となっている」ということである。

スラムというものは、逆説的ではあるが、そこが栄えていたからこそスラム化する。それはなにも栄枯盛衰という条理を説いているわけではない。中心市街地(都心部、大きな鉄道ターミナルや港湾地区の住宅)というものは、ほんの100年前には最新の住宅や建物が立ち並ぶ場所であった。しかし、そういった建物も時間の経過とともに老朽化し、すぐに時代遅れのものになる。しかし、そういった建物が更新されずに残ると単に不便で古いだけの建物になる。そうすると、必然的に市場からの人気は落ちるために賃料を安く設定しなければならない。そういった安さこそが、「利便性よりも、なんでもいいから住む家」を確保する必要のある低所得者の人々を吸い寄せるのだ。しかし、スラム街を形成するのは建物の「安さ」であって、「古さ」や「みすぼらしさ」ではない。「スラムが犯罪と悪習と、病気をつくりだす」のではなく、「単にスラムが問題ある世帯をひきつけるだけ」であり、より根本的には教育の不足という社会的な問題がスラムを永続化させる要因となっている。しかし、当時の為政者たちは、そういった低所得者向けの公営住宅を供給するだけで、ほかのアプローチからの問題解決は進んでいなかった。

ホワイトはこの点について、「中所得者用の住宅供給の不足」も都市のスプロール化の一因であると述べる。つまり、都心部においては低所得者向けの「安いけど、ボロくて不便な住宅、あるいは入居するためには所得制限(年収○○ドル以下)がある住宅」か「ハイクラスで快適だけど非常に高い」高所得者向けの住宅があふれているため、中所得者の一部の人々は、是非とも都心で暮らしたいと思っていても、自分たちの要求を満たす物件が郊外にしか見つからないため、仕方なく郊外で暮らしているということだ。つまり、スラム街を脱スラム化するためのひとつの方策には、「中所得者用の大量の新住宅の供給」ということが考えられたということである。

都市の魅力

さて、では都市のスプロール化を防ぎ、人々を都心に呼び戻すためにはどうすればいいのだろうか?それは、たしかに郊外の開発規制や増大する郊外部の税負担といった消極的な方法でも達成できるのかもしれない。しかし、それでは人々にストレスをかけ続けるだけになってしまうだろう。この点に関してホワイトは、郊外で暮らしたいと思っている人々を無理やり都心に連れてくるのではなく、すでに都心で暮らしたいと思っている人々を引きつけることによって、都心を活性化し、都市を魅力的にしていく必要があるという立場である。では、都市で暮らすことの魅力とはなんなのだろうか?

それはまずなによりも、職住近接の暮らしができるということである。つまり、「新聞関係者、ラジオ、テレビジョン関係者のように、労働時聞が長く、不規則な人々は都市内に住むことが絶対に必要である」。それゆえに、そういった忙しい人々のための住宅の供給を急がなければならない。また、都市はさまざまな人々が密集して暮らしているからこそ、刺激に溢れているし、効率的な市場があるからこそ、生活に欠かせないものから、個人のニッチな趣味に至るまで、あらゆる需要を満たしてくれる店や施設が経営を成り立たせることができる。それは娯楽や刺激の少ない郊外にはない魅力である。またそうした多様性は子どもの教育にとっても、「有色人種、白人、老若、貧富を問わず、あらゆる人々に子供たちを接触させる機会を与え得る」。

くわえて、郊外生活のデメリットを感じて、都市に復帰する人々もいる。つまり、郊外に庭付きの大きな家を買ったが、歳をとるにつれて、その管理や趣味だったガーデニングが負担となってしまうこと、あるいは都市にいる方が、趣味や友人関係に選択肢が出てくるということだ。こういった選択をする人々は大半が仕事を定年退職したり、子育てが終わった世帯であるという。つまり、郊外に暮らしていても、「子ども」がいれば、単に近所に暮らしているというだけで、特に共通する趣味や話題があるわけでもない人たちとも、子供の問題、PTAについて話し合うことにより近づきになれた。しかし、子どもが独立してしまうとそういったネットワークもだんだん希薄になってしまうのである。そこで自分の趣味を楽しもうと思ったり、新しい趣味を見つけようと思ったり、昔からの友人を家に招こうと思っても、郊外にはそういった需要を満たしてくれる施設がないし、友人にとっては来るだけで一苦労な所であるためなかなか招くこともできない。しかし、都心であれば交通のアクセスもいいし、美術館や劇場、シンフォニーといった刺激にも簡単にアクセスすることができる。友人関係にしても、人々がある程度集まっているからこそ、興味・関心が共通する人々と選択的に付き合うことができる。こういったことが都市で暮らす魅力なのである。

魅力的な都市を創るには?

ジェイン・ジェイコブズはそうした都市の魅力を高め、人々が都市で暮らしてくれるようにするための条件や方法として、後に『アメリカ大都市の死と生』で提唱する理論の中心的な要素である、多様性や街路、機能の混在、ヒューマンスケールなランドマークといったものの重要性を主張する。つまり、「道路は自動車用の大きな道路をたくさんつくるのではなく、歩行者用の小さな道路をたくさんつくり、それをつないでいく必要がある」、「ダウンタウンの街路には生産性の高い企業、中位の企業、低い企業、生産性の無い企業、身近なレストランや良いステーキ・ハウス、美術店、大学クラブ、上手な仕立屋、本屋や骨とう品屋でさえが必要なのであり、そういった企業のために古い建物をあえて残しておかなければならない」、「噴水や広場、特徴的な建築物、多種類の舗装や標識、消火栓、街路灯、白大理石の聖水ばちなどをあえて残すことによって、人々の地域への愛着を育む」。そうすることによって、「小売販売額の低下、課税基準の低下、沈滞化している不動産価値、解決不能な自動車交通と駐車場、大量輸送機関の調落、スラムによる包囲」といった諸問題は解決に向かうのであるということだ。本書の著者たちは共通して、「主導的な役割を果たすべき人々はごく普通の一般人であると私たちは確信している」という信念を持っていたのである。

本書の現在における価値?

それぞれの都市は、それぞれの時代、それぞれの地域、それぞれの状況に固有の問題を抱えている。この命題は疑いようもなく、真実だろう。だから、1950年代のアメリカの都市問題についての本を読んでも、それを現在の日本の都市が抱える問題に応用することはおそらく難しい。それは、スラムや人種差別、教育制度など、アメリカ特有の問題を含んでいるだけになおさらそうだし、「人口増加」に対応する必要があった時代と「人口減少」に対応しなければならない時代ということを考えても、やはりそこにはある種の断絶が存在する。それゆえに、この本を今読むことにどれほどの意味があるのかは正直分からない。ただ、私にとっては、「そもそも、都市のスプロール化とはよく聞く言葉だけど、その詳細や具体像はイメージ出来ていなかった」という意味で、「その時代の生の問題意識を感じることができた」という点において、有意義であったと考える。また、過疎化や限界集落、コンパクト・シティといった現在の課題を考える上で、「都市に住む(密集する)メリット」と「郊外に住む(分散する)メリット」といったことを改めて認識させられたという意味においても、やはり意義があったのではないかと思う。たしかに今暮らしている大都市は、ごみごみしていて、壁当てができるような場所もない反面、図書館やスーパーが歩いて行ける距離にあるのは非常に便利だ。一方で、両親の実家がある田舎での暮らしは、たしかに物価は安いし、のんびりとしていていいのかもしれないが、車がないとなにもできないというデメリットもある。しかし、問題はどちらかの一方のライフスタイルを選択し、他方を諦めるということではないのだろう。時に都市のメリットを、時に田舎のメリットを感じられるような、バランスのとれた地域をつくっていく必要があるのだろう。

参考文献

  • W.H.ホワイト ほか著『爆発するメトロポリス』、小島将志 訳、鹿島出版会、1973(原書:1957)、全274ページ

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大学時代に読書の面白さに気づいて以来、読書や勉強を通じて、興味をもったことや新しいことを学ぶことが生きる原動力。そんな人間が、その時々に学んだことを備忘録兼人生の軌跡として記録しているブログです。

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