エドワード・ホール(1966)『かくれた次元』

公開日: 更新日:

建築・都市論 文化人類学

この記事をシェアする
  • B!

紹介文

「文化」という概念について、そして文化人類学という学問について、従来の象牙の塔的な迷宮から抜けだした、より実社会の役に立つ道筋を提示したエドワード・ホールが、文化による「空間」について考察した書。「文化とは、人にとってあまりにも『当たり前』で、意識されることすらないが、文化は人の知覚や感情のあり方を規定してしまう」と彼は言うが、本書を読み進めれば、諍いや衝突が耐えない欧米と中東の感覚の相違が非常によく理解できる。空間、すなわち建築の間取りや家具のデザインなどは、単なる"物"以上の意味をもっている。それは、人々の「文化」の具体的「形式」であり、人間的な身体の「延長物」にほかならない。グローバル化が急速に進む中で、グローバル・シティと呼ばれる都市には、多種多様な「文化」が混在している。都市の中で起こる「文化の摩擦」にまで踏み込んだ、「文化」の書。

本書の概要:文化における「空間」の違い

本書は、文化人類学者エドワード・ホールが前書『沈黙のことば』の中で整理した、文化的な差異や特徴が現れる10の領域のうち、「空間性」について掘り下げて考察したものである。彼の言によれば「異なる文化に属する人々は、違う感覚世界に住んでいる。違う言語をしゃべるだけでなく、おそらくもっと重要なことには、感覚情報を選択的にふるい分ける結果、あることは受けいれられ、それ以外のことは捨てられる。ある文化の型の感覚的スクリーンを通して受けとられた体験は、そのため、他の文化の型のスクリーンを通して受けとられた体験とはまったく違うのである」。彼が『沈黙のことば』の中で「時間」について考察した際、同じ5分であっても、単一的時間(モノ・クロニック)多元的時間(ポリ・クロニック)によって、その意味するところは変わってくるといったことや時間の固定性・可動性を明らかにした。それと同様に、空間についても、同じ1〔m〕であってもアラブ人とアメリカ人では感じ方が違うし、椅子の位置についてもドイツ人とアメリカ人ではこだわり方が異なる。とりわけ、本書の中で強調されているのは、そうした文化は「完全に意識された状態から意識外の状態に至る、意識のさまざまなレベル」において同時におこなわれ、知覚・感覚に根ざした感情をともなうものであるため、しばしば摩擦を引き起こすし、互いの違和感を拭い去るのは大変な苦労をともなう(場合によっては不可能)ということである。

「文化」、それは「籠」:交じり合わぬ「当たり前」

ホールは、「人間の空間に関する知覚、感受、使用の方法」に「プロクセミックス」という造語をあて、本書の中で文化によるプロクセミックスの違いを説明している。プロクセミックスは、原始人の段階で遺伝子レベルに身につけた行動パターンから、社会が人為的につくり出した都市や建造物に至るまでのあらゆる(過去から現在を含めた)「環境」に影響されている。例を3つ挙げれば、(1)下位文化的レベル、(2)前文化的レベル、(3)微小文化的レベルといった段階が存在する。

(1)下位文化的レベルとは、「文化の土台となっている組織化レベルの低い行動」のことであり、動物的な縄張り意識や接触・非接触の選好性(密度高く群れるのを好むか好まないか)、闘争・逃走行動(外敵が一定の範囲内に侵入してくると興奮・逃走する)の名残とも言える。

(2)前文化的レベルとは、視覚、触覚、聴覚など生理学的な感覚に由来するもので、例えば部屋の広さの感覚で言えば、ある人は「物にぶつからないで歩き回れる部屋は、自由に歩き回れる部屋よりも狭い」と感じる。また、「知らない人の手に触れてしまったら、反射的に手を引っ込める」場合があるが、これは、「知らない人に触れられていることをどう感じているかによって決まる」。

(3)微小文化的レベルとは、本文中に詳しい説明はないが、おそらく彼が言う意味での、個々人レベルの非公式ではあるが間主観的である人間の行動や感じ方という意味なのではないかと思われる。そして、彼によればこの微小文化的レベルにおいて、さまざまなプロクセミックスの違いが観察される。

このような諸々の「環境」に影響され、ある文化に属する人々は「空間」を評価し、それに対して反応することになる。しかし、先程も述べたように、人間は同じような空間に存在し、同じ現象を目の当たりにしたとしても、「文化」というフィルターを通して知覚情報を取捨選択して受け取っている。例えば、大抵の人にとっては、「雪」は天候のひとつでしかなく、日本語には、細雪や粉雪、牡丹雪など、英語にはsnow(雪)とslush(解けかけの雪)の2つしか雪を区別する言葉はないが、イヌイット語にはより多くの単語が存在し、それぞれの名が別の状況や状態を表わしている。そして彼らはそうした言葉を用いて、それぞれの雪を明確に区別して知覚・認識しているのだが、アメリカ人や日本人にとってそうした雪は存在しないも同然である。エドワード・サピアの言葉を借りれば、「言語は単にコミュニケーションとか反省とかいう特殊の問題を解くための偶発的な手段にすぎないと考えるのはまったくの錯覚である。実際には『現実の世界』は大部分がその一群の言語習慣の上に築かれているのである」。

また、人間に入ってくる情報はあまりにも膨大で、それを逐一意識していたら、精神が疲弊してしまい、また相互交流にあまりにも時間がかかってしまう。例えば「人は話す時、メッセージの一部しか言い表さず、残りは聞き手が補う。言われなかったことの多くは自明のこととされる。〔…〕アメリカ人にとっては靴磨きに何色のクリームを使うか指図するのは余計なことだ。ところが日本では、これを指図しなかったアメリカ人は茶色の靴を黒にして返される目に会うことになる」。感覚について例を挙げれば、「日本人は、視覚的にはいろいろな方法で遮断を行う。しかし、音響的には紙製の「壁」、つまりふすま一枚で完全に満足している。日本の宿屋で宴会の席と隣り合わせに一夜を過すのは、西欧の人間にとってはひとつの新しい感覚体験である。ドイツ人やオランダ人はこれと対照的に、音を遮断するのに厚い壁と二重ドアを必要とする。音を遮断するために自己の精神集中カに頼らなければならないことになったら、彼らはたいへん難儀するだろう。もし2つの同じ大きさの部屋があって、片方は隣からの音を遮断しているが、もう1つはそうでないとすると、何かに集中しようとしている感受性の高いドイツ人は、前者の部屋にいるときには、より人数がすくないと感じるだろう。なぜなら自分の中に侵入してくるものがすくないからである」。

こうした感覚は、一度確立してしまえば、その後は生涯にわたって保持されることになり、そこから逃れることは極めて困難である。それは当人たちにとって、説明を必要としない「当たり前」のことであるがゆえに、文化間に「共感(理解)できない」摩擦が生じることになる。本書を含めたホールの仕事の意義は、そんな中にあっても、相互を理解し合うために「コミュニケーションの自明な部分を顕在化させ、その部分相互の関係を示す」ことにあるのである。

空間配置:固定相空間と半固定相空間

ホールは人間を取り巻く空間、とりわけ、部屋、家、街路、都市など人々がそれぞれの文化の型の中で人工的に生み出した空間は、人々の行動や感覚、感情、考え方のパターンに大きな影響を与えると考えている。彼はそうした空間のうち、静的、固定的、不変的なものを「固定相空間」、動的、流動的、可変的なものを「半固定相空間」と呼ぶ。例えば、間取りと壁・仕切りの関係を見てみても、日本と西洋では建築的空間が異なる。西洋では「家はその内部すらも空間的に組織されている。特別な機能には特別の部屋、調理、食事、談話と社交、休息、回復、生殖のためばかりか、衛生のための部屋まである」。壁や扉は重厚で、部屋はほぼ設計時に配分された面積以上になることはない。一方、日本の伝統的な庶民の家は、襖や障子といった、軽くて薄い可動式の「壁」で仕切られており、それらを取り払えば空間を広く使うこともできる。そして、建築計画の世界で「食寝分離」が提唱されるまでは、居間はちゃぶ台を置けば食事のスペースとなり、それを取り払って布団を敷けば、たちまち寝るための空間として用いられることになる。また、居間では客をもてなすことも、一家団欒の時間を過ごすことも、考え事をすることもできる。「朝になって部屋がすぺての戸外へむかって押し開けられると、明るい日光や松の香を含んだ山霧が親密な空間に入って、部屋をすがすがしく清めるのである」。つまり、西洋文化では「壁」は「固定的」ととらえるが、日本文化では「半固定的」ととらえるということである。

家具は、人の力で動かすことができるから、分類的には半固定相空間を構成すると思われる。しかし、これについても文化によって、むやみに動かすべきではない家具の「あるべき場所」がある文化がある。それがドイツ人の椅子の位置に対するこだわりで、「ドイツでは椅子の位置を変えるのはしきたりに背くことである」。アメリカではその場の状況に応じて椅子を動かしても気にしないし、気になる人もそれをあえて口に出すことはしない。しかし、ドイツ人はそうしたことを嫌うため、よほどの力持ちでない限り容易に位置を変えられないくらい家具が重くつくられている。それは、「薄ぺらに見えるからだけではなく、人がそれを動かして、ものの秩序を乱し、ついには『プライベートな圏』を侵害することにもなるから」であり、「合衆国に移住したドイツ人の新聞編集者は、椅子の位置をその場の状況に合わせるというアメリカの習慣に我慢できず、客用の椅子を「適度に離して」床に釘づけしてしまったという」。ただし、ホールの分析によればそれは程度の問題であり、アメリカにおいても他人の家や事務所のものの位置を勝手に変えることにはためらいを感じる人も多い。また、家具のレベルよりもさらに可動性が高い、リモコンや食器といったものにも、それぞれの個人のレベルで「いつものところ」がある。こういった違いも人々の間の「半固定相空間」と「固定相空間」の違いであると言うことができる。

「半固定相空間」は、ともすれば人の力で動かすことができて、ある種の柔軟性があるから、まだいいかもしれないが、人工的な「固定相空間」の場合、もはや物理的に人力ではどうすることもできず、人はそこに適応するしかないがゆえに、それが自分にとっての「自然」と一致していなければ、逃れがたい永続するストレスに曝されることになってしまう。例えば、台所の設計を考えてみれば、収納棚の位置・高さや通路スペースの広さといったものは、そこを使う人にとって使いやすいものでなければ、毎日不満を抱えながら料理をしなければならなくなってしまう。男性であれば楽々届く高さにある棚も、女性にとっては背伸びをしなければ食器を出し入れできないことがあるし、2人の人が同時に調理したいと思っても、十分な空間的余裕がないために、ぶつかりながら作業をしなければならないこともある。だが、こうした不満は、改善できるにしても完成してしまった後では余計なお金をかけなければならないので、減価償却が済むまでは我慢しなければならないだろう。建築家のクリストファー・アレグザンダーは、人間の根源的な欲求を「無名の質」と名づけ、その無名の質がこの世界に物体や行動様式のかたちで具現化したものを「パタン」と呼ぶが、まさに、「広さ、形、設備、家の中の配置などをみれば、その家の女性には、建築家と設計家が固定相空間をどれだけ理解しているかを知ることができる」。「空間内で正しく位置づけられているかどうかの感覚は、深いところに根ざしている。このような知識は究極的には生活と健康の問題に結びついている」というホールの言葉は、アレグザンダーの設計思想と共鳴しているように思われる。

また、こうした固定相空間と人間の関係は、都市空間や風景といったより広いレベルでも観察することができる。例えば、アラブ人はだだっ広くて視界を遮るもののない、開けた空間を好む。とりわけ室内からの眺めや天井の高さは部屋を選ぶときの重要なポイントであり、トラブルとなった近隣住民へのいやがらせのために、とても自分が住むことのできないような高い「壁」を相手の家の目の前に建ててしまう人がいるくらいである。だが、そうした人々にとって、アメリカの住宅は「天井は低すぎ、部屋は小さすぎ、外部からのプライバシーの保護は不十分であり、眺めがまったくない」。それはアラブ人たちにとって、日々真綿で首を絞めるようにじわじわと効いてくるストレスの源となるのだが、多くの建築家や再開発事業者はそうした細やかな配慮の必要性に気づくことなく、「大きなアパートやマンモス・ピルを建てているのである」。

空間と「出会い」、行動

心理学者ジェームズ・ギブソンは、ものの形状や配置といった要素が人間にある種の行動を誘発、ないし回避させることを「アフォーダンス」と呼んだが、ホールも本書の中で同様の議論を展開している。精神科医のハンフリー・オズモンドは、自身の病院での観察から、ものの配置や空間の取り方には「離社会的空間」と「集社会的空間」の2種類があることを発見した。「離社会的空間」とは、文字通り「人々を分離させる傾向のある空間」のことであり、「集社会的空間」とは、「人々を集合させる傾向のある空間」のことである。例えば、鉄道待合室のように、椅子が壁沿いに並べられ、互いが向き合っていないような場所では、人々はそこに座っていても、アーヴィング・ゴッフマンのいう「出会い」が生じにくく、会話や相互交流が起こりにくい。逆に、フランス式の歩道カフェのテーブルなどは互いに向かい合って、円形のテーブルを囲うように椅子が配置されているため、目があいやすく、したがって「出会い」が生じやすくなる。このように、「半固定相の構成は行動に深い影響を及ぼす」が、とりわけ人と人とが向かい合うような家具の配置を「ソシオペタル」、向き合わない、ないし平行となる配置を「ソシオフーガル」という。

ソシオペタルとソシオフーガルのイメージ図
図1 ソシオペタルとソシオフーガル

オズモンドが院長を務めていた病院では、維持・管理のしやすさ(設備や家具の掃除・点検、看護作業という意味であると思われる)から、離社会的空間が多く、集社会的といえるものは極めて少なかったそうである。新しく建てられた「模範的」な女性老人科の病室は、「あらゆるものが新しくピカピカと輝き、きちんとして清潔であった。場所は広いし、色は明るかった」が、「患者が病室に長くいるにつれて、互いに言葉を交わすことが少なくなるようであった。彼女らはしだいに家具のようになって、いつも黙りこくって、ベッドの間に規則正しい間隔をとって壁にくっついている有様だった。おまけに彼らは意気消沈しているように見えた」。しかも、そのような精神的な落ち込みによって、入院していた人々は次々と解約や転院してしまったそうである。そうした状況を整理してみると、彼は、患者たちが基本的に「並行の隣合わせ(=顔が向き合わない)」か、「向き合っているにしても、距離が遠く、わざわざ『出会い』に行かなければならない位置」にいること、そして私物を置く場所がないことに気づいた。そこで彼は、「患者がめいめい自分の席をもち、雑誌や本や筆記具などを置くこともできる小テーブル」をたくさん病室に置き、椅子をその周囲に並べた。この変化は、患者とスタッフにきちんと説明されていたが、最初のうちは抵抗にあった。しかし、だんだんと患者たちがその状況に慣れ、自分のなわばりを確立し始めると徐々に談話と読書の回数が増加したそうである。このように、(半固定相)空間の構成次第では、人間の行動が変化するとホールは述べている。

人間関係と距離感

今までは、空間構成や家具の配置によって人間の行動や心理が変化するということを述べてきたが、ホールはまた、人間関係の距離感や社会的役割、場面などに応じて人と人とが設ける物理的距離についても考察している。スイスの動物学者ハイニ・ヘーディガー(Heini Hediger)は、鳥類や晴乳類の個体が互いに一定の物理的距離を保ちあう事実を発見し、それらを逃走距離、臨界距離、個体距離および社会距離に分類した。ホールは人間にも同様の距離があると言い、「密接距離」、「個体距離」、「社会距離」、「公衆距離」の4つを提示する(そして、各々の中にそれぞれ遠近の相がある)。

密接距離とは、その名のとおり、家族や恋人、親友など、親密な関係にある人々がその親密さを表すとき、あるいは逆に、非常に興奮した状態で相手を直接的に攻撃するときに取る距離のことである。感覚的には、「ほかの人間の存在がはっきりととらえられ、感覚入カの電圧が極めて高いため圧倒的なものとなることがある。視覚(しばしばゆがめられた)、嗅覚、相手の体温、息の音、におい、感じなどのすべてが結合して、他人の身体と密接に関係しているというはっきりとした信号となる」。この距離では、肌と肌さえもが触れ合い、愛撫、慰め、保護、あるいは格闘などが行わる。現代的な大量輸送機関は、普通であれば密接距離をとらないような他人同士に、そのような距離を取らせているが、人々は満員電車・バスにおいて親密な空間から、真の親密さを取除くような防御手段を講じる。つまり、「できるだけ動かないことであり、胴体の一部や手足が他の人に触れたときは、できれば引込める。そうできないとき、その部分の筋肉は緊張する。非接触性のお歴々の面々が、姿勢を緩めて、知らない人との身体的接触をたのしむのはタブーである!満員のエレベーターでは手は脇へ下ろすか、身体を安定させるために手すりを掴むかである。目はあらぬ方を見やり、他人には一瞥するだけである」。なお、この距離において、人はかなり小さな声で話しある。

個体距離とは、元々へーディガーが「非接触性の種のメンバーを恒常的に分かつ距離感を示すのに用いた用語」であるが、人間においては自分と他者の間に保つ距離のことである。大雑把に言えば、「身体的支配の限界」、つまり「手や足を伸ばせば相手に触れることができるかできなくなるかくらいの範囲」ということになる。この距離においては、「声の大きさは中位で、体温は知覚されない。嗅覚はアメリカ人の場合には普通はないが、嗅覚的空間をつくり出すためコロンを用いる多くの民族の場合にはそれが存在する。息のにおいはこの距離でも分かることがあるが、アメリカ人は一般に息を相手からそらすようしつけられている」。また、「この距離では個人的な関心や関係を論議することができる。相手の表情は細かいところまではっきりと見てとることができる。」

社会距離とは、「顔の細かいディテールは見てとることができないし、特別な努力をせずには相手に触れたり触れようとしたりできない」距離のことであり、声は正常の水準にある。この距離では、もはや相手のにおいや体温を感じることはできなくなり、形式張らない親しい仕事仲間の場合は比較的近くに寄ることで親密さが表現され、仕事や社交上の対話をする場合は、それよりも少し離れることによって、形式的な舞台装置とすることができる。この距離は、自然には視線の交差が起こらなくなるため、この距離で話をしている人は「妨げが入ってくるのを避けようと首を伸ばしたり、左右に身体を傾かせたりする」。また、この距離は「2人を互いに隔離し遮蔽すること」を可能にする距離であり、「人の前で仕事をつづけても失礼に見えない」。個体距離の範囲内か社会距離と個体距離の境界線上くらいの位置にいると、仲間が話をしているとどうにもその話に引き込まれざるを得ない気持ちになり、逆にそのラインを超えると、気兼ねなく自分の仕事に集中する心理的状況が生まれることになる。社会距離はいいかえれば、「簡単に触れ合い、好きなとき別々になれる距離」と言うことも可能であり、そのほか背中合わせに座ることによっても、「出会い」の場を避けることができる。

公衆距離とは、個人的な談話への義務感や視線があったときの気まずさがなくなり、完全に「他人」としてお互いを維持できる距離のことである。この距離になると「普通の声で話される意味の細かいニュアンスや、顔の細かい表情や動きも感じとれなくなる。声、その他あらゆるものを誇張もしくは増幅する必要がある。ことばによらないコミュニケーションの大部分が身振りや姿勢に移ってゆく。さらに、声のテンポは落ち、ことばはよりはっきりと発音され、文体も変化する」。

こうした(非公式の)距離感や行動は、文化や個人によっても異なり、客観的に同じ距離であっても、それに対する感じ方や知覚(その距離は「個体距離」と「社会距離」のどちらと感じるか)も異なる。例えば、ホールの観察によれば、個体距離と社会距離の境界線付近では「アメリカ人の声は全体として、アラブ人、スペイン人、南アジアのインド人およびロシア人よりは低く、上層階級のイギリス人、東南アジア人、日本人よりは幾分高い」。また、人間のパーソナリティの面においても、「パーソナリティの公衆的位相を発達させることができず、そのため公衆的空間を占めることのできない人々がいる。〔…〕多くの精神病医が知っているように、密接的、個体的な距離帯で困難を覚え、他人と接近するのに耐えられない人々もいる」。同じ1〔m〕の範囲内にいる人であっても、その人のにおいや体温、目つき、雰囲気、声の大きさ、自分との関係性などさまざまな要因が絡み合い、主体Aにとって許容できるか否かということは変わってくる。「距離を感覚する過程は意識の外で起こるので、このような概念はいつも把握しやすいとは限らない。我々は他人を近いとか遠いとかと感じるが、それをそのように特徴づけるのを可能にするのは何か、ということをつねに明確に規定できるとは限らない。多種多様のことがらが同時に起こっているので、我々がどのような情報源にもとづいて反応しているのかを選りわけるのは難しい」。つまり、「(1)あらゆる結果には唯一の、認知可能な原因があり、(2)人間の境界は皮膚にはじまり皮膚に終る」というのは誤りで、実際には人間には拡張された身体=自己空間が存在し、それは多種多様な要素によって「伸縮する場」として人間の意識に存在しているのである。

プロクセミックスの文化比較① ドイツ文化:強いプライバシー意識

ドイツの人々は、公的空間と私的空間の区分において、明確に私的(自己)空間を確保し、プライバシーを確保しようとする。実際に、「第2次大戦中、捕虜となったドイツ兵士たちは、狭い収容所の中に詰め込まれたときでも、お互いに話し合い、自分の区画を配分し合っていた」という話があるそうだ。それは、「どこからが私的領域への侵入か?」という問題についても、特徴的に見ることができる。例えばアメリカでは(非公式なレベルではあるが)、開かれた扉よりも外側に入れば、家や部屋の内側にいるとはみなされない。胴体と脚を外に残し、文字通りの意味で首を突っ込んでいても、まだその人は「外」にいることになる。それどころか、「体が室内に入っていてもドアの側柱に手をかけていれば、片足を『ベースにつけて』いることになり、他人の領分に入りきってはいないことになる」。しかし、ドイツ文化においては、ガラス越しにその家や部屋の内部を見てしまえば、もうそれだけで「内部に侵入」したこととなり、プライバシーを侵害されたと感じて、怒りを露わにされることがある。そこでは距離の遠近はあまり重要ではなく、「見れる・覗ける」ということが重要とされるので、アメリカのように「部屋の内側にいて、しかも侵害圏の外にいるなどということはありえない」。

また、ドアのもつ意味についても、ドイツとアメリカでは違う。例えばドイツでは、「建物は公私を問わず、ホテルのような防音用二重ドアを備えていることが多く、扉は重い」し、ドアは基本的に「閉まって」いるのが標準的な状態であるとされる。しかし、アメリカでは逆に「開いて」いることが基本であり、わざわざドアが閉められていれば、アメリカ人は「中の人がひとりでいたいか、邪魔されたくない」、あるいは「人に見られたくないことをしている」と感じる。実際には、ドイツ人はそんな意図は存在せず、ただ「ドアを閉めてはじめて部屋が完全なものになり、人々の間の保護境界が設けられる。そうしないと互いにあまりにもかかわり合いすぎることになる」と感じるだけなのだが、ホールはアメリカ・ビジネスのオープン・ドア式とドイツ・ビジネス文化のクローズド・ドア型の違いが、ドイツにあるアメリカ企業の支社や子会社で衝突を引き起こした事例を紹介し、「この会社ではドアを開け放っておいたためドイツ人はむき出しになっていると感じ、事業全体に著しく緩んだ非能率的な空気を生じさせていた。一方、戸を閉めておくとアメリカ人たちはその場所で何かが企まれていて、自分が除け者にされているという感じを受けた」という行き違いに言及している。

プロクセミックスの文化比較② イギリス文化: 心理的な壁

ドイツ文化が自己の領域を確保するために物理的な設備を必要とするとすれば、イギリス文化ではそうしたものに頼らない場合があると言うことができる。先程の例で言えば、アメリカ人は集中して考え事をしたいときやひとりになりたいときは、ドアを閉めて部屋にこもり、文字通り「ひとり」になる。しかし、イギリスでは、純粋に「ひとり」にならずとも、誰かが話しかけてきたときにそれに反応しなければ、それだけで「集中したい」というメッセージを発していることになる。なぜなら、「イギリス人は、子供のころから自分の部屋をもったことがないので、他人を避けるために空間を使うという習慣ができていない。彼らは防柵を内面化していて、こちらでそれを立てたら相手はその防柵を認めるものだと考えている」からである。だが、アメリカ人にとっては「同じ部屋にいる者に話しかけるのを拒んだり、「黙殺」したりするのは、最大限の拒絶であり、ひどく不快に思っていることのはっきりとしたしるし」とされる。それゆえ、イギリス人が集中するためにアメリカ人を「無視」しても、アメリカ人はその微妙なサインが分からず、「なぜ怒っているの?」と聞いてきて、イギリス人をイライラさせてしまうということが起こる。これは、双方の空間的建築的な欲求が全く違っていることに起因するのだ。

また、近隣関係についてもアメリカとイギリスでは異なっている。いいかえれば、空間的近接性は、人間関係に必ずしも影響を与えるとは限らないということである。ホールによれば「イギリスでは隣近所ということは何の意味ももたない。ある家族の隣に住んでいるからといって、その家を訪問したり、何か借りたり、つきあったり、子供を一緒に遊ばせる資格ができるというわけでもない」。イギリスは現在でも階級社会的な意識が残っていて、人間関係を築く際の拠点は、その人の社会的地位にあり、同等レベルの地位にある人だけが「興味・関心の近さ」や「人格・性格」といった評価に移ることができる。イギリス人は「世間に対して自分のプライバシーを守ろうとする」傾向が強く、そんなに簡単には心を開いてはくれない。しかし、そのような文化の違いから、イギリスで暮らすアメリカ人は「イギリス流のパターンを正しく解釈できないため、大半が傷つき、途方にくれる」ことが多い。

プロクセミックスの文化比較③ フランス文化: 他者への関心

他者とのつきあいという意味では、フランス人は戸外で寄り集まることが好きである。その理由は、「彼らの多くが多人数の状態で暮しているからである」。とりわけ「パリの南と東」に住む人々は、「地中海に沿う諸文化の複合体に属している」ため、「北欧人、イギリス人、アメリカ人よりも密接に寄り集まる」。ホールはこうした傾向を「空間の地中海的な用法」と呼び「混みあった列車、バス、自動車、歩道のカフェ、家庭など」でよく観察することができると言う。しかし、それはフランス人のプライバシー意識が低いというわけではない。そうではなく、「自宅は家族のためのものであり、リクリエーションと交際は外」というふうに、明確な位置づけがなされているということである。だが、それでも戸外で発揮されるフランス人の社交性にあわせて、彼らのオフィス、家庭、町、市街、郊外は、そこにゴッフマンが言うような意味での「出会い」が生じるように設計されている。フランスでは屋外カフェで人間観察に勤しみ、場合によってはジロジロと他人を凝視することもある。そして、気になる人がいればその人に声をかけ、「話しかけるときは、相手の顔をまじまじと穴のあくほど見つめる」。

プロクセミックスの文化比較④ アラブ文化:におい、眺望、公共、接触

今まで述べてきたことは、アメリカと比較的近いヨーロッパの文化についてのことであったが、これが中東の文化となると、もはやまるで違う感覚となってくる。例えば、アラブ文化では、公共空間はどこまでも「公共」のものであって、誰かが専有したり、(一時的にせよ)誰かの私的領域になることはない。「Aが町角に立っていて、Bがその場所を欲しいと思う場合、BはAを不快がらせてそこから退かせるため、何をしようとかまわない。ベイルートでは、映画館の最後列に座っていられるのは頑固者だけである。というのは、大抵は座りたがっている立ちん坊がいて、そいつらが押したり突いたりして邪魔をする。普通の人はそれに降参してどいてしまうからである」。ホール自身もあるホテルのロビーで人を待っていた際に、ある男がホールにずけずけと近寄り、彼の周りに居座り始めたということがあったそうである。その男は、「明らかに私と同じく、そこからは2つのドアとエレベーターがよく見えるという理由から、その場所を選んだ」のだが、ホールが苛立ちを示すと、彼は申し訳なさそうにするどころか、嬉しそうな素振りさえ見せた。それは、彼が「もう少しで私をどかせられると考えた」からなのである。このように、アラブの世界では人が動いていない場合、誰かに特別な(非公式の)権利が生じることはないし、公共空間において、誰かの領域に侵入するということもあり得ない。

だが、逆にアラブでは動いているときには特別な権利が生じる。ホールの言うところによれば、「アメリカではより大きく、馬力が強く、速く、多く乗せている車に道を譲るのが普通である。歩行者は苛立つことはあるにせよ、速い車に道を譲るのを異常だとは考えない。立止っているなら周囲の空間に権利を生ずるが、歩いているときには、そうした権利のないことを承知している。アラブ人の場合、これは逆のようで、彼らは動くにつれて空間への権利を手に入れていくのである。アラプ人が入って行こうとしている空間へ、他の者が入ってゆくのは権利の侵害になる。高速道路で行先を横切られると、アラブ人はひどく怒る」。西洋文化と中東文化では、まさに感覚は真逆であって重なり合う部分などないようにさえ思えてしまう。こうした感覚の違いが、中東―欧米間に生じる摩擦の要因のひとつとして考えられる。

さらに、アラブ人は、「人ごみの中にいるのは平気だが、壁で囲まれたところに押込められるのを嫌う」。だからアメリカの大都市のように、建物の密度が非常に高い土地ではアラブ人たちは非常に神経質になる。そんな中で彼らが生活していくためには、(1)歩き回るのに邪魔がない広い空間(できたら1000平方フィートほどもある)があること、(2)天井は高くて、普通の場合には視野にぶつからないこと、(3)妨げられない見晴しがあることの3つの条件が必要になってくる。だが、このようなだだっ広い空間は、アメリカ人にとっては居心地が悪い。眺望という条件はとりわけ重要で、「相手を怒らせる最も有効な手段として、隣人の眺めを遮るというような否定的な面にも現われる」。

また、中東文化では、においについても特徴的な感覚がある。というのも、アラブ人は人と話をしているとき、絶えず相手に息を吹きかけるのである。「アラプ人の生活では嗅覚が重要な位置を占めており、それは距離をとるための機構のひとつであるとともに、行動の複雑な組織の不可欠な部分でもある。そしてこの習慣には単に作法が異なっているというより以上の意味がある。アラプ人には良いにおいは快いものであり、互いに接触しあう手段のひとつである。友人のにおいを嗅ぐことはいいことであり、望ましいことでもある。彼に息をかけないようにすることは、ぎこちなく振舞うことであるからである」とホールは言っている。これもまたアメリカ人などには全く理解することができない感覚で、「人の顔に息をかけないように訓練されているアメリカ人が、礼儀正しく振舞っているつもりでいるとき、相手はそれを恥ずかしさのためだと受けとる。我々の最高級の外交官がその最上の作法を実行しているとき、それが相手に恥ずかしさを伝えていることになるなどとは、誰が想像できるだろうか」。このように、におい=嗅覚はアラブ人のコミュニケーションにとって非常に重要であるため、「体臭を消そうとはせず、それを発散して人間関係をうちたてようとする。彼らは他人のにおいが気に入らないときは遠慮なくそう言う」。縁談がある際に、「男の仲人は娘のにおいを嘆いでくるように頼まれることがあり『香ばしく』ないと破談になる。アラブ人は、においと気だてとに関係があると思っていて、それを『怒りとか不満のにおいが残っているため』と思う。要するに、嗅覚の境界がアラプ人の生活では2つの役目をはたしている。つながりをもちたいものを包みこみ、そうでないものを隔てるのである」。

アラブ人のプライバシーや身体の権利もまた、西洋とは異なっている。アラブ人は、「公共の場で押したり突いたりし、公共の交通機関の中で女性をなでたり、つねったりする。アラブ人は身体の外にプライバシーの圏があるとは考えもしない。〔…〕西洋の世界では、人格とは皮膚の内側にある個人である。そして北ヨーロッパでは一般に、皮膚と、ときには衣服さえも侵してはならないものになっている。しかし、アラブ人にとっての人格は身体の内側の奥まったところに存在しており、しかも自我は完全に隠れきってはいない。それで侮辱が極めて容易くそこへ届くのである。それは接触からは守られているが、ことばには無防備なのだ」。こうした文化が培われた理由についてホールは、中東の地理的条件を要因のひとつとして考えている。つまり、「砂漠からの絶えざる圧迫がある一方で、人口過剰を抱えていたため、必然的に高密度への適応が起こった。彼らは自我を身体の殻の内側へ押込むことによって、他者との綿密な関わりあいに耐えられるようにした。むしろ、アラブ人は独りになるのを好まない。彼らのパーソナリティは根と土壌のように互いに混じり合い、栄養をとり合っている。人々と一緒にいて、何らかの方法で積極的につながりをもたない限り、生命を失う。〔…〕したがって合衆国にいるアラブ人は、社会的にもまた感覚的にも喪失感をもつことが多く、人間的な温もりと接触のある国へ帰りたいと憧がれるのである」。

くわえて、アラブ文化においては、話をするときの距離と顔の向きが違う。つまり、中東では「他人を目の端で見ることが失礼と受け取られ、背中合せに坐ったり立ったりするのは大変無礼である」と考えられている。だから、アラブ人は横に並んで話しながら歩かずに、どちらかが先へ出て、互いに顔が見えるように振り返る。しかし、往々にしてこのような位置と向きで歩こうとすると危ないので、結局話しをしたいのであれば立ち止まらなければならなくなる。立ち話ではない社会的な場面においては、「彼らは部屋の両端に、離れて座り、言葉を交わす」。だが、そうとは知らないアメリカ人が自分たちにとっての社会距離(4~7フィート)で話をしようとすると、アラブ人は不快に感じる。また、「プライベートにも公的にも、そしてまた友人に対しても知らない人に対しても、目の使い方が(アメリカ人と)非常に違う。〔…〕アラブ人の家では客がいろんな物を眺めながら歩きまわるのは失礼なのだが、一方ではアラブ人が相手を眺めるやり方は、アメリカ人には敵対的、挑戦的に見える」。アラブ人は、話をするとき、互いに目の中を見つめ合うがその強さは大抵のアメリカ人には極めて不快であるため、「彼の方では相手を傷つけようなどとは思いもかけないのに、彼の目つきのせいで、男性としての挑戦を受けたと思いこんだらしいアメリカの男と、すんでのことで殴り合いになりかけた」ということも珍しくない。

総じてアラブ文化では、公共の場でのプライバシーというものは、ほとんど存在しない。例えば、「市場での取り引きは売手と買手が行うだけではなく、周りに立っている者が誰でも参加できるのである。子供が窓を割っているのを大人が見ると、大人はその子を知っていなくてもそれを止めなければならない。もし二人の男が喧嘩していると、周りの人はとめなければならない。政治の水準では、トラブルが起こりかけているときに干渉しないことはその仲間に加わったことになる」。アラブ人の意識には、「友人にも敵にも同様に立入りを禁じられ得る境界をもった土地や空間」というものは存在せず、自身の不動産への侵入に対する態度で重要なのは、「その人が誰であるか」ということである。昔から「彼らの相互関係は空間によってではなく、閉じた社会体制によって構成されている。何千年もマホメット教徒やマリニット派やドゥールス派やユダヤ教徒は自分たちの村に住んで、それぞれ強力な親族関係で結合されていた。彼らの忠誠のヒエラルキーは、まず自分自身であり、次に親族、町の人もしくは部族の人々、同宗信徒および、または同国人の順である。このカテゴリーに属さない者はみなよそ者である。アラブ人の考えでは、よそ者と敵とは同義ではないにせよ、きわめて近い関係にある」。だから、アラブ人とうまくつき合っていくためには、彼らの「見えない文化」を受け入れ、彼らの流儀に従うことによって、「よそ者」から脱却させてもらわなければならないのだ。

プロクセミックスの文化比較⑤ 日本文化:「点」と「間」

先程のアラブ文化と同様、欧米社会の目から見ると、日本のプロクセミックスもまた独得の特徴を有している。本書の中でホールが何度も言及しているのは、「点」に注目することと住所の割り振り方である。欧米においては、都市の街路に名前がつけられていて、建物の住所・番地は、例えば、その通りの手前から奥に向かって順番につけられる。しかし、かつての日本では通りに名前をつけるのではなく、むしろその道が交差する点に名前をつけ、また建物の番地は、空間的な順序ではなく、建物が建てられた順番(=時間的順序)にもとづいて割り振られる。そして、ある点を中心とした同心円上に同程度の重要性をもった地域を配置する。ホールはこれを江戸時代の将軍と大名との関係の名残ではないかと考えている。つまり、「かつての日本においては、空間と社会組織は互いに関連し合っていた。中核への近さが将軍との関係、および忠誠度を反映していた。最も忠実な大名が内側の防御園を形成した。信頼度が低く、忠誠の疑わしい者たちはこの島国の端の方、山脈を隔てて南北に置かれた」。一方、欧米では、フランス風の星状放射形やローマ風の格子形の都市構造になっているので、外国人が日本に来ると位置関係が分かりにくいと感じてしまう。ホールが本書を書いた時点においては、すでに日本でも通りに名前をつけることが多くなり、線によって位置を把握することが多くなったが、もしかすれば、「中心からの近さ=重要性」という江戸時代の名残はいまだに残っているのかもしれない。つまり、都市の成長というものには、栄えている地域に人・モノ・金が引き寄せられ、それらの資源を元手に利便性を向上させることでさらに、その場所が魅力的になるという好循環によって、反映し、逆に魅力のない地域からはどんどん人が流出するという法則めいたものがあるから、その名残で昔栄えていた場所が今でもその「貯金」を活かして栄え続けているとしても、それは分からないことではないということである。

さらに、日本人特有の空間感覚として、ホールは「()」の概念を取り上げている。彼によれば、「西洋人が空間について考えたり語ったりするとき、彼らはものの間の距離を念頭においている。西洋では、ものの配置を知覚し、それに反応するように、そして空間は『空虚』だと考えるように教えられている」。「空虚」ということはすなわち、「無」であり、そこには何の意味も与えられない。しいていうなら、「そこに物を置くことができる」とか「そこを通ることができる」という意味があるだけである。これに対し、「日本人は空間に意味を与えるように―空間の配置を知覚するように―訓練されている」。日本の伝統的な空間においては、「()」にもまた意味があり、「()」の存在によって独得の趣が生じる。ホールは、京都の龍安寺石庭に日本的空間意識を見出している。彼は「15個の岩が砂利の海から立上っている。庭の石は、どこから眺めてもその1つがいつも隠れているように配置されている。彼らは記憶と想像が常に知覚に参与すべきだと信じているのである。〔…〕彼らは空間の知覚に視覚ばかりでなく、その他あらゆる感覚を用いる。嗅覚、温度の変化、湿度、光、影、色などが協同して、身体全体を感覚器官として用いるようにうながす。ルネッサンスとバロックの画家の単一点遠近法に対して、日本の庭は多くの視点から眺められるように設計してある。設計者は庭の鑑賞者をあちらこちらに立止まらせる。例えば、池の真中の石に足場を与えて、丁度よい瞬間に目をあげて思いがけない見通しを見つけるようにするのである」と述べ、「人はその秩序、静寂、極度な簡素の修練によって圧倒される」と賞賛している。龍安寺石庭における「海」=「()」は、石の存在感を強調するための舞台であり、その「()」なくして、簡素さの美は生じ得ない。またその「()」は、主体が位置を変えることにともなう「発見」の前提ともなる。このような「()」に、洗練された美意識が集約されているのだ。

文化的多様性の象徴としての都市:プロクセミックスと都市問題

今まで述べてきたような分析は、たしかにそれ自体としても興味深いものではあるが、ホールの目的はそこで終わるわけではない。彼は、象牙の塔ではない、実践で役に立つ学問を目指していた学者らしく、このような文化的差異の知見をまちづくりに活かすべきであると主張している。ホールによれば都市とは、「ほかのあらゆるものと同じく、それを生み出した民族の文化の表現であり、多くの複雑な入り組んだ機能をはたす社会の延長である」。古代文明から現在に至るまで、多くの民族や社会が、自分たちの文化に適した都市を創造してきた。その都市の中で生まれ育った人々は、当然にその集団の文化に適応し、ある意味でほかの環境に生きる可能性を捨ててしまっている。本書の中でホールが繰り返し述べているように、人間は一度身につけてしまった文化を脱ぎ捨てることはできない。幼い頃に血肉となった知覚・感受のパターンは、代替物などあり得ず、自らにとってすべてである。だが、現代ではグローバル化の影響で人のトランス・ナショナルな移動が急激に増加し、移民や海外赴任、異国の地でのボランティア活動や勉学も珍しいことではなくなっている。ホールが生まれ育ったアメリカは、過去においても現在においても、世界一の多民族国家である。だが、アメリカの都市は、そうした文化やプロクセミックスの差異を考慮に入れることなく、比較的早くアメリカに入植した人々のために設計されるきらいがあった。それにくわえて、当時のアメリカの設計理論は画一化や均一化を好む傾向にあったため、移民の人々は、自分とは異なる鋳型に(無理に)はめられて生きることを余儀なくされていたのである。かつてアメリカ社会は「人種の坩堝」と呼ばれていた時期があったが、現在では「人種のサラダ・ボウル」という異名になっている。それは、坩堝のように溶かされ、ひとつの文化として結晶することは難しく、むしろ多種多様な文化が自身の根本的なアイデンティティを保ちながら並存している現実が認識されたためである。将来的に、そのような差異が少しずつ薄まり、すべての人を包括する「ひとつの文化」が形成されるかもしれない。だが、それは非常に長い年月を要することであって、1世代のうちに解消してしまう問題ではない。アンソニー・ギデンズは、「コスモポリタンとは、異文化に対し、どこまでも自分を適応させられる人を指すのではなく、まず確固たる『自分』を陶冶し、自らの文化やアイデンティティを理解したうえで、他の文化に対して柔軟な態度をもつ人のことである」と言っている。それがコスモポリタンの定義であるとするならば、各々の「精神」の市民権と同様、その精神に見合った「形式」の具現化もまた、獲得されなければならないだろう。なぜなら、自分にとってどうしても馴染めない空間の中で暮らさなければならない状況下では、日常生活それ自体の中で、目に見えない不満やストレスが溜まり、ホッとできないことがどうしても多くなるからである。日々の生活の中で精神的な余裕を失っていけば、余計「他者」に対して神経質になり、トラブルや摩擦を引き起こしてしまうことが想像できる。しかし、そうした衝突こそが、文化間に亀裂を生み、コスモポリタンの対極たる民族主義や原理主義に、人を陥らせてしまう。

例えば彼は、当時都市部に流入してきた南部出身の貧しい黒人たちの住居問題に触れている。所得の低い人々は、就労の機会を求め、都市部に流入してくるが、それは友人、知人、親族などつながりのある人々を頼ってくる場合があり、そうした人々が寄り集まってできたコミュニティは「ゲットー」と呼ばれていた。だが、ゲットーの地域はしばしば人口が過密の状態になり、また「犯罪が多発する地域である」とのイメージが根強かった。そこで、行政の都市計画を担う人々は、民間の不動産業者と結託し、ゲットーを一掃して、その地域に元々住んでいた人々を高層の公営集合住宅に住まわせようと画策し、実際にその計画が実行に移された。建物を水平的ではなく、垂直的に広げようとしたのは、(1)地価と住宅需要が高騰する状況にあって、同じ面積の土地に最も効率的に人々を収容する必要があった、(2)当時の都市計画理論では、オープン・スペースを確保するのが良いこととされていた、といった理由からである。だが、こうした施策は、結局それまであったコミュニティを分断し、さらに公営集合住宅での犯罪をかえって増加させ、いっそう低所得者の居住地のイメージを悪化させただけであった。このような問題は、オスカー・ニューマンの『まもりやすい住空間:都市設計による犯罪防止』などに詳しいが、かいつまんで言えば、団地の高層化はエレベーター・ホールや高層階の廊下などの死角を生みやすく、コミュニティの分断は隣人と侵入者の区別を困難にしたことが原因であるとされている。ホールの言を借りれば「これは根本問題を紛飾し、隠すだけで、その解決にはならなかった。〔…〕高層アパートが立並ぶのはスラムより見た目はいいが、住みごこちはそれより悪い。黒人は口をきわめて高居住宅を罵る。彼らはそこに白人の支配を見るだけである。これは民族的関係の失敗である」というなのだ。これは、スラムとされていた地域の住人たちの、「自然」な居住形態を破壊し、不慣れな箱に押し込んだ挙句、結局その住環境や安全性の向上には寄与しなかったという、画一化やホールの批判する「傲慢さ」が引き起こした失敗であると言えるだろう。

そうした現象を目にしたホールは、多種多様な文化の飛び地としての地域の多様性を許容し、そこに住む人々の「隠れた次元」に配慮したまちづくりを行うべきであると言う。例えば、黒人やプエルトリコ人たちは、ニューイングランド人やドイツ系またはスカンジナヴィア系のアメリカ人よりも多くの人間的な接触に慣れているから、「過密」として問題となる人の人数はそれだけ多くてもいいし、逆にある程度の密度がなければ彼らにとって落ち着かない場所にすらなってしまう。ただ、そうした人々は「外部」の人間からの保護と遮蔽を必要とする場合もあるので、コミュニティとして彼らの存在を認めるということも必要となる。問題は、「問題」を単一の尺度で測るのではなく、「我々の都市を構成している飛び地についての最大、最小、そして最良の密度をいかに測定するかについての、よりいっそうの検討が絶対に必要」ということなのである。

また、そうした配慮は、都市空間だけではなく建築空間や家具の選択の際にも必要となる。単一的時間(モノ・クロニック)の中に生きている人々は、「活動を空間内で分割する方が仕事をしやすいと思う」。だから、誰かと会う際には特別の応接室を用いることにして、誰もが利用できるソファとテーブルは置かないようにする。逆に、単一的時間(モノ・クロニック)の人が多元的時間(ポリ・クロニック)の人に対応する際には、「身体的な遮蔽を減らすか、なくすかして互いに接触を保てるようにしなければならない」。だから、「ラテン・アメリカ人と取引する事業家の場合、机よりも長椅子を使う方が成功する」。都市空間においては、「高度のつながりをもった多元時的なナポリ人は、誰もが寄り集まれるガレリア・ウンベルトを建て使用している」一方、「合衆国の特徴である建物のたちならぶメイン・ストリートは我々の時間の構成と、互いのかかわり合いの欠如とを反映している」。だが、どちらが優れているということはなく、問題は場面によってその長所を活用するということであり、「両方の型の空間を与えれば、この2つの集団の関係によい効果をおよぼすであろう」ということである。そして彼は、「健全な密度、健全な割合での相互活動、適当な量の接触、不断の民族的合一の感覚を維持するような空間を設計するための原理」を創造するためには、「通常の専門家集団(都市計画家、建築家、あらゆるタイプの技術者、経済学者、法律施行専門家、交通・運輸専門家、教育者、法律家、社会事業家、政治学者)」だけでなく、「心理学者、人類学者、生態学者が都市計画局の常勤成員であること」が必要であるとも主張する。なるほどたしかに、このような視点による都市批判は、まさに「目から鱗が落ちる」わけでそこに彼の独自性があるのだろう。

グローバル化と多様性:「他者」の集合としての都市

思えば、本書が出版された1960年代という時代は、ジェイン・ジェイコブズの『アメリカ大都市の死と生』(1961)やクリストファー・アレグザンダーの『都市はツリーではない』(1965)が発表されるなど、アメリカの大都市批判が表面化していた時代であった。しかし、それは建築家やアメリカ人の市民の視点に立った、都市の機能や経済法則、コミュニティ問題に関する議論であり、文化的差異に注目したものではなかった。その中にあって、本書は一見都市問題とは関係なさそうに思える人類学者によるもので、本書で知ることができるのは、あくまでもさまざまな集団の「文化」であり、知覚のパターン以上のものではないと、私は思っていた。しかし、まさにその差異こそが、都市問題の根本的、かつ重要な要因であり、多様性の象徴である一方、アメリカが突き進んでいた「画一化」や「他者への無知」が外交のみならず、企業活動や人間関係にまで影響を及ぼしていると指摘している点には、非常に興味深いものがある。彼は、「アメリカの都市計画家、建築家は現在他の諸国の都市を設計しているが、彼らは民族の空間的欲求ということをほとんど考えず、それらの欲求が文化によって異なることを思ってもみない」と述べるが、アレグザンダーもまた、「建築や都市の設計において重要なのは、その人々のパタンを徹底的に知ろうとすること」ということを言っている。

再三述べているように、「知覚世界の型どりというものは文化の函数であるばかりでなく、関係、活動性、ならびに情緒の函数でもある」。それは、簡単に捨てることはできない。そんな中で、自分の文化とは相容れない場所に住むことになれば、「ことによると無理やりにある行動、関係、過度の情緒へ追いやられることになるかもしれない」。彼はここに新しい建築や都市の見方を提示している。だが、グローバル化が進み、人々のトランス・ナショナルな移動が活発化している現在にあっては、まさに多様な文化が併存していかなければならない。「多様性を認める」と言うと、ともすればその習慣や宗教、思想、服装といったソフトの面を思い浮かべがちだが、人間はそのソフトの延長物として建物や家具などを生み出しているのだから、当然に、ハード(固定相・半固定相空間)の多様性も考えなければならない。しかし彼は、先に述べたゲットーの問題に関して、このように言っている。「そこが安全であるというだけでは不十分であって、飛ぴ地がその機能を果たしたら、人々がそこから移動できるようになっていなくてはならない。人間は常にかつて自分が知られ、ある場所を占め、互いに責任感をもっていた元の隣人に近い社会集団に属することを必要とするものである」。これはおそらく、「その人や家族がその国の社会に馴染むまでは、ホッとできる場所、あるいは異国にある故郷のようなものが必要ではあるが、その集団の中にずっと留まるのではなく、いつかは「他者」と交わっていかなければならない」ということを言っているのではないだろうか。だが、彼は決して、外からやって来た者は、自分だけが努力してその社会に適応せねばならないと言っているわけではないだろう。むしろそうした「自分たちにあわせろ!」と言わんばかりの態度は、ホールが批判するところのものであり、彼は、「長い時間をかけた結果として、互いの良い部分を取り入れ、豊富な選択肢に満ちた『ひとつの社会』になれればいい」と言っているのだ。彼は、プロクセミックスのパターンを研究する意義について、「第1は、我々自身の意識外のパターンにさらに光をあて、居住や労働の構造および都市の設計の改善に寄与することであり、第2に、文化間の理解を増す必要の大きさを示すことなどである」。と言う。こうした意識は、1960年代に書かれた書物だからといって色褪せることはなく、むしろ、「現代化」の中に生きなければならない私たちにとって、まず真っ先に意識しなければならないことである。彼は、人間社会は「大きな危機」の脅威に曝されていると言う。「その大きな危機とは、人間が文化の次元という新しい次元を発達させたことの自然的な産物である。文化の次元はその大部分が隠れていて眼に見えない。問題は、人間がいつまで彼自身の次元に意識的に眼をつぶっていられるかである」。世界的にも珍しい「単一民族国家」である日本に生まれ育った人にはあまりピンとこないかもしれないが、アメリカ人とアラブ人のように、その感覚が真逆とも言える「到底理解できない輩」や「無礼千万なやつら」は、テレビやインターネットの向こう側にいる、外交上の存在ではなく、いつでも「隣人」としてつきあわなければならない存在である。だからこそ、本書のもつ意味はいっそう重要なものとして認識されなければならないと、私は思う。

参考文献

  • エドワード・ホール著『かくれた次元』,日高敏隆,佐藤信行 訳,みすず書房,1970(原書:1966),全284ページ

自己紹介

自分の写真

yama

大学時代に読書の面白さに気づいて以来、読書や勉強を通じて、興味をもったことや新しいことを学ぶことが生きる原動力。そんな人間が、その時々に学んだことを備忘録兼人生の軌跡として記録しているブログです。

このブログを検索

QooQ