エドワード・ホール『沈黙のことば』(1959年)

公開日: 更新日:

文化人類学

この記事をシェアする
  • B!

紹介文

「文化」という言葉は、現在では人口に膾炙した語となったが、実際にはその意味するところは曖昧で、政府の海外支援や企業の海外進出の際には、あまり役には立っていなかった。アメリカ人はともすれば、低開発諸国の人々を「未開のアメリカ人」とみなし、自分たちのやり方を押しつける傲慢さと無理解を曝け出していた。それは、文化というものの本質に対する無知に起因し、そのような態度が「愛されもしなければ、尊敬もされないアメリカ」を生み出していた。本書の著者エドワード・ホールはこのような問題意識の下、文化について深く考察し、本書においてより本質的な「文化理解」を試みている。とりわけ、時間性と空間性についての考察は、彼の人生におけるメイン・テーマとしてさらに追求されていくことになる。「文化とは何か?」、そして「文化を学ぶ意味とは何か?」。グローバル化の中でさまざまな文化が混在する現代であるからこそ、いっそうの価値を帯びる思想の書。

本書が生まれた背景:「文化」とは何か?

「文化」という言葉は、1871年にイギリスの人類学者E.B.タイラーが初めて定義を試みてから、今日までに人口に膾炙し、日常生活でもしばしば使用される言葉となった。しかし、その意味するところは「ひとつの人間集団の生き方、すなわち彼らが身につけた行動の型や態度、物質的なものの全体」という程度の曖昧な説明でしかなく、「羊を飼う民族がある反面、食料を採集する種族があり、狩猟を事とする集団もあれば植物栽培民もあるということを指摘し、信仰の対象となる神も、社会の組織も、グループによって異なっているのだということを示すにとどまっていた」。そうした理解の仕方、あるいは知識の保有・吸収は、その文化の外部から眺め、純粋に学問として研究するだけに留まるのであれば、別段問題はなかったのかもしれない。しかし、アメリカが自身の影響力の強化という目的意識、あるいは純然たる人道的な動機からほかの国や地域、異文化に技術的、軍事的、経済的支援を試みるようになると、そうした表面的で抽象的な「文化」概念は、実践の役には立たなかったのである。

本書の著者エドワード・ホールは文化人類学者という肩書きではあるが、学術的(アカデミック)な研究に専心していたわけではなく、民間企業や政府機関に対して、異文化理解をするうえでの助言者(アドバイザー)としての仕事に長いこと従事していた。そんな彼が助言をする対象である、海外支援や海外援助をするアメリカの人々は、そうすることがその地域の人々のためになり、より快適な生活という目的のために非常に合理的な方法であると考えて、いわゆる低開発地域と呼ばれる国々の人々に対して、新しい衛生技術や農法の導入を提案するのだが、それがその地域の文化や手順に沿っていなければ、激しい抵抗に遭うことになる。そうした現地の人々の反応に直面し、ある人は途方に暮れ、またある人はその人々の保守性や後進性に憤り、別の人は国民の福祉に無関心な権力者を悪者として非難した。しかしホールは、ともすれば自分たち以外の集団を「未進化のアメリカ人」とみなしているかのように振る舞い、歩み寄ることを怠り、自らの意見を押しつけがちなアメリカ人の自己文化中心主義的な態度を指摘し、そうした態度こそが「愛されていないどころか、(服従すべき存在として)尊敬されてもいないアメリカ」の原因であると述べている。彼はこの問題の本質的な原因は、アメリカ人(だけというよりは、世界のあらゆる人々)の異文化への無知の中にあり、従来の「文化」研究の不十分さにあると言う。それでいて、「各分野の最前線にいる真面目な人々でも、文化がどれほど人間の行動に深い永続的な影響を与えるものであるかを見逃していて、しかも文化による決定的な影響のほとんどは、人間の意識の外にあり、個人がどれほど意識的に操作しようとしても、できない相談であるということに気づいていない」。それはアメリカ人にとって合理的であるとしても、理性や理屈によって乗り越えられるものではないのである。

彼は「言語の場合とはちがって、文化を『教える』方法はない。〔…〕外国の言語、歴史、政治、習慣についての計画的な訓練も、総合的な計画の中では、ほんの第一歩にしかすぎない」と言い、究極的にはその地域の文化に適応するには、その地の人々との粘り強いやりとりが必要であると言っている。それは、単に事実についての知識や過去の人々の失敗談を学ぶだけでは不十分で、「我々は他人に何を伝達しているかを分かりきっているなどと思いこむべきではない。今日の世界において、お互いに意志を疎通していると思いながら、意味がひどく曲げられていることは甚だ多いのである。他の人々の知的なプロセスを理解し、それらへの洞察をもつことは、われわれが認める以上に困難なものであり、事態はわれわれが考えているほど甘いものではないのである」。だが、そんな中でも複数の文化を比較することによって、個々の文化の本質をつかもうとしているのが、本書の試みであり、本書の考察はその後も長く続くこととなる彼の文化概念の基調となっている。

文化=コミュニケーション

彼は、文化を本質的にコミュニケーションであるとみなす。コミュニケーションとは根本的には、「人間(も含めた動物)の個体・集団間で情報や意図、考え、感情などが伝達されること」であり、その目的を達成するために文字や言語といった記号、あるいは視覚や聴覚といった感覚が道具として使用される。彼が本書の中で注目しているのは、英語や日本語といった言語を用いたコミュニケーションではなく、その集団の「時間の処理の仕方、空間的関係、仕事や遊びや学習に対する態度を規定する、行動様式」であるところの「沈黙のことば」=「行動の言語」を用いたコミュニケーションである。彼は「言葉というものは、言葉だけでは、何の意味ももたないことがある。むしろ、言葉以外の手段の方が、はるかに雄弁である場合が多い」と言う。例えばフランス語に代表されるように、「発話の終りをさげないで、声を尻上りにしてみるだけで、事実について述ベる代わりに質問に変えることができる」し、「私はあの店のとんかつが好きだ」という文章がある場合、「あの店」を強調すれば、ほかの店でも出てくるとんかつ全般についてとりわけ「あの店のとんかつ」が好きであることを意味する。一方、「とんかつ」を強調すれば、あの店のほかの商品と比べてとんかつが相対的に好きであることを表現することができる。それはたしかに言葉を用いて表現された事柄ではあるが、より厳密に言えば声の調子や顔の表情といった身体的な記号が文脈や意図を表現するうえでのポイントとなっているのだ。

非言語的メッセージを構成する3要素:個、素、型

彼は、メッセージは「個」(単語のようなもの)、「素」(音のようなもの)、「型」(文法あるいは統語法のようなもの)の3つの要素から成り立っていると述べ、「この3つの構成部分(個、素、型)にメッセージを分類することが、『文化はコミュニケーションなり』という理解の基本的姿勢になるのである」と言う。上記の喩えのごとく、「素」とはアルファベットの1文字のように、「個」を構成する要素のことで、複数の「素」が集まってひとつの「個」を形成する。その際の「素」の結合の法則が「型」と呼ばれるものだ。しかし、彼は同時に「『素』はとらえがたい抽象体であり、幻影のようなものだ。『素』は『個』を構成する要素であるのに、われわれが『素』を求めて、細かく『個』を検討し始めるやいなや、『個』と『素』との区別は消えてしまう。たしかに『素』の姿はみとめられるが、いったん明らかに知覚できるようになると、今度はそれ自身の段階において『個』のように見えてくる」とも言う。この点については、クリストファー・アレグザンダーの「パタン」概念との類比を考えると分かりやすい。アレグザンダーによれば、例えば「窓」というパタンは「ガラス」や「窓枠」、「ネジ」、「蝶番」といった要素から構成されており、「住宅」はその窓を含めたさまざまなパタンによって構成されている。これと同様に、例えば「箸」という「個」は「木」や「漆」といった「素」から構成されているが、「箸」という「個」が「茶碗」や「湯呑み」といった「個」と組み合わされば、「和食の食器」という新たな「個」を生み出すことになる。このような意味で、「個」と「素」の区別は非常に曖昧で、ともすれば区別をする必要はないのかもしれないが、エドワード・ホール自身によれば、「『素』は数が限られているが、『個』は、『素』と『型』が結びつく可能性によってのみ数に制限を受ける。『素』は組織の中に拘束されており、組織から取り出されたときだけ『個』となる。一方、『個』は、組織から取り出してとり扱ったり知覚したりすることが可能である」という明確な相違点が存在する。例えば、切りだされた木がここにあるとして、その木はどこまでいっても木でしかない。しかし、それが数十[cm]に加工され、さらに一方の端にいくにしたがって細くなり、選手の好むように塗料を塗られれば、それは「バット」という「個」になるし、十数[cm]に加工され、一方の端にいくにしたがって細くなり、先端の角を取れば「箸」になる。あるいは太鼓やドラムを叩く「バチ」になるかもしれない。また、窓枠用の木はガラスを取り外し、分解してしまえば、それは再び窓枠にも使えるし、割り箸にも加工できる「木」となるが、箸は料理が乗った膳の上になくとも、箸は「箸」として認識することができる。だが、彼は「個のもつ「意味」は、その個があらわれる文脈(コンテクスト)をはなれては存在しない」とも言う。これはようするに、例えば野球を知らない地域にバットを持っていけば、もしかしたらハンマーの代わりとして使用されるかもしれないということなのだろう。そして続けて、「『個』ははっきりと知覚できるが、『素』は、ある文化の構成員にとって認められている規範の周囲に群がる諸々の出来事を抽象化したものなのだ。2つの『素』の間が近い場合、測定上の実際の差は、各々の『素』の規範内にあらわれる変形の間のひらきよりも小さいことがある。『素』の間の違いを我々が認めることができるのは、その『素』があらわれる『型』のせいなのである」と述べるが、これは恐らく、植物としての木があった際に、ある文化ではその木の上に小屋を置いて住居とする場合もあれば、木を切り出して地上に家を建てるための材料とする場合もある。建材の加工の仕方についても、日本のように構造材とすることもあれば、単に壁材とすることもあるというように、同じ「木」という存在であってもその捉え方や利用方法、その後のストーリーなどが異なるということを言おうとしているのではないだろうか。

文化的差異の原因①:「個」に対する評価・分類

さて、今までは箸やバットといった実体について考えてきたわけだが、ホールによれば「個」の定義は「単語、時問、またはマイルのような測定単位、あるいは行政機構など、われわれの生活に付属しているあまり実体的でないもの」についても当てはまる。つまり、「個」の定義をいいかえれば、それは「その人々の生を形成している概念や名づけられた存在」と言うことができる。しかし、「どんなレベルにおいても、『個』は、孤立してそれだけで理解されることはほとんどない。特殊の場合でない限り、文脈(コンテクスト)の中に出現してくる。そして類似したあるいは関係のある一連の事柄の中に出現し、多くのものの中のひとつとして存在する」。例えば、日本では米や野菜が主食であったから、細かいものを掴んで口に運ぶために箸が発達したが、欧米では肉が主食であったため、肉を切り分けて口に運ぶためにナイフやフォークが発達した。これが文脈(コンテクスト)の意味だろう。また、例えばフィンガー・ボウルというものは初めて目にすると何のためにあるのかが分からず、「その中に入っている水を飲んでしまった」という失敗談をよく耳にする。実際には指を洗うためにあるものなわけだが、それはとりわけエビやカニなどが供される料理コースにおける、制度の1要素としてそれは存在しているのである。

ただ、無数にある単語や物の名前と機能を覚えていくだけでは、その文化の本質に至ることはできない。ホールによれば、「個」に対する評価と「個」の分類方法の違いが文化的差異をもたらす要因のひとつであるという。本書に出てくる例で言えば、後者は「英語では、名詞に性別はないが、アラビア語では、区別がある。もし、アラビア語の名詞を適切に使いたいなら、名調の性別を知らなければならない。一方われわれは、すべてのものを、生物と無生物とに分類する。だからこの区別をしないトロプリアンド島の人は、ある物について話すとき、いちいち、我々が生き物として扱っているかどうかを考えなければならない。また島民は、我々の動物・植物の分類方法についても多少当惑するであろう」ということになる。また、前者は「ラテン・アメリカの人は、なぜアメリカ人たちは、鉛管工事のような汚い不愉快な仕事を重要視するのか分からないだろう。そして、なぜアメリカでは、トイレが風呂場の中に置かれているのか不思議に思うだろう。日本では、人間の情緒とか感情とかいうものを高く評価し、『キモチ』、『ドージョー』などと呼んでいる一方で、アメリカ人が考えているような論理などというものは、低く評価されている。周知のごとく、アメリカ人は、この2つの個、すなわち感情と論理に関しては、日本人はほとんど正反対の格づけをする」。

この「個」の評価方法には、公式的、非公式的、技術的の3つの水準がある。公式的な評価とは、金、銀、プラチナのように、ある文化集団の構成員が共通して=公式的に価値を認めることであり、非公式的な評価とは、赤、緑、育、黄といった色に対する個人の好き嫌いや、石油や農作物のようにその場の需要状況によって評価が変わるものを言う。技術的な評価とは、例えば主婦が「黄身が盛り上がった卵=良い卵」を見抜いたり、競走馬のトレーナーが「良い馬」を見つけ出すなど、専門的知識や経験を共有した集団によって、ある程度の再現性をもって下される評価のことである。

文化的差異の原因②:「型」のあり方

複数の集団間に文化的差異を生じさせる要因には、上記の「個」に関するもののほかに「型」がある。「型」とは、先程も述べたように「個が意味をもつための配列に関する法則」である。例えば、「子ども」という存在について考えてみれば、近代以前の西洋社会においては、子どもは単なる「小さくて愚かな大人」にすぎず、あまり大切にはされていなかった。中世以前においては、「学校」という存在は子ども全般の教育ではなく、あくまでも「聖職者」や「法学者」の養成のために設けられるものであって、さまざまな候補者の中にたまたま「子ども」の年齢にある者が在籍しているにすぎなかった。しかし、近代以降の社会においては、子どもは「同じ労働を共にする仲間」であることをやめ、「社会の未来を担う期待の対象」となった。それに合わせて学校の教育制度や建物は変化を経験し、子ども全般について「(何になるかは分からないかもしれないけれど)それぞれの将来への備えとして、徳や知識を身につける場」となったのである。それ以前の文化においては、1人や2人死んでもそこまで気に留められなかった存在は、今や親の最大の関心事であり、失うこと=耐え難い悲劇となる程の存在となったのである。そうした感覚は、集団の大多数が共有しているものであり、「子ども」という「個」と「学校」という「個」の結びつき方を往々にして受け入れている。このような意味において、ホールは「型とは集団によって共有された、個の意味のある配列である」と言う。しかし、「型」とは「複数の『個』の関係性」であるため、それは往々にして目には見えない。この意味で彼は「型はそれ自身の段階で分析された場合にのみ意味をもつ」と述べる。例えばどこかの小学校の教室を見るとして、私たちの目には、「黒板」や「椅子」、「机」、「窓」、「照明」、「時間割表」といった物体が飛び込んでくるだろう。その際、「型」を分析するとは、例えば「なぜ先生が教卓の前で授業をするのか?」、「生徒が円形ではなく、縦横に整列されたかたちで配されている理由は何か?」、「どうして『お金の稼ぎ方』の授業がなくて、『国語』や『算数』の授業があるのだろう?」といったことに思いを巡らせてみることである。それを考えるに至ってはじめて、「生徒の配列方法は、教員による管理を容易にするため」とか「即物的な知識よりも、より一般的な思考力を鍛えるため」といったことに思い至り、その文化を支配する根源的法則を理解することができる。この点に関して、ホールは「文化とはまったく別個の実体としてのいわゆる「経験」なるものは存在しないということだ。文化は経験から引き出されるものでもなく、また経験という鏡に映し出されるものでもない。そのうえ、経験と考えられているある神秘的なものに照らして、文化をはかることもできない。『経験』とは、文化によって決定されたかたちで受けとめたものを、人間が外界に対して投影することなのだ」と言っている。例えばある人と待ち合わせをした際、相手が30分遅刻してやってきたため、こちらは怒って帰ってしまったとする。この場合、30分も待たされることに多大なストレスを感じる文化もあれば、「それくらいは何の問題もない許容範囲内だ」と思う文化もある。このように、同じ「約束時刻からの30分の経過」という経験をしたとしても、その受けとめ方はその人の属する文化に拘束されている。また別の例で言えば、アメリカ人の男性がアメリカ人の女性をデートに誘う場合、「誘うか、誘わないか」は男性が決めることができるが、「どんなことばを使うか」「どんなプレゼントをするか」「何時に電話をしたらよいか」「どんな服を着るか」といったようなことがらは彼の思いのままにはならない(おまけにアメリカでは、デートに応じるか否かの最終決定権は女性が握っている)。こうした考え方を突き詰めていくと、ミシェル・フーコーのエピステーメー論にたどり着くことに気づくだろう。

「型」を規定する3要素:「順序」、「選択」、「適合性」

そのような「型」は、ホールによれば、「順序」、「選択」、「適合性」という3つの要素によって規定されている。例えば、伝統的な農村社会においては、出生の順序によって、長子は財産の相続権と存続の義務を負うことになったが、そうでない子どもは家を出て自分で生計を立てていかなければならなかった。また、何かを買う列に並ぶ際、アメリカや日本では「先着順」に手に入れる権利があるものとされるが、場所によっては列に割り込んだとしても権利を認められる場所があるかもしれないし、「緊急性」や「必要度」が基準になる地域もあるだろう。食事に関して言えば、イギリスのように朝食に重きを置く場所もあれば、フランスのように夕食に重きを置く場所もある。また、フランス料理は「前菜」→「スープ」→「主菜(肉・魚料理)」→「デザート」の順番が大切であって、「前菜」の直後に「デザート」が出てくることはない。

「選択」とは、例えばアメリカでは自動車が右側通行、イギリスでは左側通行でなければならないが、それはある意味で恣意的であり、進行方向別に自動車を分離するのであればどちらであってもかまわない。また、現在では宝石やアクセサリー類は女性がつけるものとされているが、逆に男性がそうやって着飾っていた時代もある。食事については、欧米ではパンや果物、肉類が中心だが、和食では米、野菜、魚、豆などが中心である。さらに、朝食にステーキは食べないが、夕食にはステーキを食べるという選択も存在する。しかし、こうしたことは、生存の維持や活動に必要な栄養素・エネルギーの摂取という目的からすれば、どんな組み合わせであってもいいはずである。ようするに、理屈の上では同じ目的に適う品目はほかにいくらでもあるにもかかわらず、複数の「個」の組み合わせ方が決まっているさいに、「選択」が働いているということである。「燕尾服には白いネクタイ」という鉄則も、「ホワイトハウスには大統領の妻または身内の女性が住む」というしきたりも、どこかの時点で選択されると絶対的な拘束力をもつ。黒のクラシック・スーツに白い靴下を履いていくと、ヨーロッパでは「ものが分かっていない」と失笑を買ってしまうことになるのである。

「適合性」の法則とは、その集団の置かれている環境や状況、ある社会的な「出会い」の場において求められている振る舞いに対して、合致することを求められるということである。ホールの言葉で言えば、「すべての人間が生活を営むにあたって見出したいと願うもの」であるが、例えば、小麦がほとんど取れない地域においてはパンを中心とした食事文化が生まれることはないだろう。和食が日本の文化を飛び出して、世界の食卓に登ろうとしているのは、「健康志向」という世界の人々の欲求に適合しているからなのだろう。リンカーンの「グテイズパーグの演説」が名演説とされたのは、当時のアメリカの人々の心情を端的に表現したからであり、ビートルズのロックが爆発的に売れたのは、やはり当時の若者たちの気持ちに適合したからだと思われる。また、国賓に出す料理がスナック菓子では非常に場違いで、重要な人物であれば、その国で饗することのできる最高級の料理でもてなす必要がある。葬儀の席では、弔意を表すために黒のネクタイをしめる必要があるが、結婚式では祝意を表現するために白いネクタイをする必要があるとされている。同じ文章を書くという行為であっても、ジャーナリストや作家には、自身の主張を効果的に表現することが求められ、逆に科学者の場合は、客観的な事実を、誤解を生まないように伝えなければならない。逆に、企業の提供する商品や伝統芸能・技術といったものは、その場所・時代の「適合性」から外れてしまえば、もはや生き残ることはできない。手紙やはがきは電子メールに置き換えられつつあるし、洗練された西陣織も段々と需要がなくなってきている。その価値が「再発見」されれば文化として生き残ることはできるが、それができずに絶滅していったものはたくさんあるだろう。

文化的差異が現れる10領域

これまで述べたような「型」によって特徴づけられる文化は、具体的に10個の領域で差異を生み出すとホールは整理している。すなわち、(1)相互作用、(2)連携、(3)生計、(4)両性性、(5)領域性、(6)時間性、(7)学習、(8)遊び、(9)防衛、(10)開発である。このうち、(1)相互作用のみが言語的伝達過程であり、残りの9個は非言語的伝達過程である。

(1)相互作用とは、気候や植生などの自然環境、あるいは複数の個人間などある人に対してなんらかの刺激が加わることで、その人が反応することである。例えば、非常に寒い地域に住み着いている人々は防寒対策用の衣服を開発するし、動物が安定的に狩れない場所では、畑や田んぼによって食料を生産するようになるだろう。相互作用はそうした「生物の潜在的感受性」を基本として、系統樹を登るにしたがって、より複雑になる。その「最も高度に精密化した形態のひとつ」が言語であり、「それは、声の調子や身ぶりによって補足される。書記は、特定の記号群や特別に発達させられた形式を使用する特殊な形態の相互作用である」。

(2)連携とは、ホールの言葉で言えば「2つの細胞が連結したときに始まる」。これは、生物学的な類比であり、複雑な有機体は多くの細胞の連結によって、高度に特殊化された機能をもっているのと同様に、人間関係においては、上司と部下との関係のように、「上司らしい話し方」、「部下らしい態度」があり、それによって上司と部下、あるいは官僚制組織が成立している。そのほかに彼は、「日本人の高度に構造化した階級組織に適合するように発達させられた、身分と尊敬の形式の非常な精密さ」や「アメリカ社会での、仕事上のまたは身分上の状況において、相対的に高い位置を占める個人に対して話しかけるときの敬語(たとえば、看護婦が医師に対して、兵卒が大尉に対して、大尉が将軍に対して、等々)」を挙げている。

(3)生計とは、いいかえれば生活における「型」のことで、ホールは「性とか肉体の機能のような話題を、食卓で、論議することには厳しいタブーがある」という例を出している。また、彼は労働=職業もこの生計のカテゴリーに含めている。彼によれば、仕事は常に分類されて「連携」の型そのものにもなり得るが、職業に対する評価は文化によって異なる。例えば、アメリカでは肉体労働にはなんの恥辱もないが、ほかの多くの文化においては低い地位の証であるとされている。さらにラテン・アメリカの国々では、看護師は階級の最下層の仕事とみなされ、看護につきものの種々の仕事こともに、便器のとり扱いなどは、卑しい、汚らしいものとみなされたため、誰も進んでなりたがらなかったため、その発達が阻害されていた。そうした差異を理解していないと、現地の人々の消極性に辟易させられたり、逆に尊敬を得られずにナメられたりしてしまうことになる。

(4)両性性とは、現代の言葉で言えば社会的性(ジェンダー)のことであり、“男らしさ”や“女らしさ”のような生物学的性別によって、志向や役割、あるべき態度や仕草、備えるべき特性や性格が文化によって異なるということである。例えば、近代的な規範においては「男性は外で職業に勤しみ糧を稼ぎ、女性は家事や子育てを担当する」といった性的な役割が存在していたが、女系社会においては、その役割が逆であったりする。また、欧米では「男性は理性的・現実的で、女性は情緒的・ロマンチスト」というのが一般的とされているが、アラブの世界では、逆に「男が詩を嗜み(=ロマンチックで)、女性はひたすら現実的に家計をやりくりしていく」とされている。彼は、「このようなことばは、多くの人にとって、衝撃となる。なぜかといえば、『人間性』といつもむすびつけていた行動が、全然、人間性などではなく、とくに複雑な種類の学習された行動であるなどと突然いわれでも、とても信じられないからである」と言うが、この点については、ハロルド・ガーフィンケルらが明らかにしたように、男らしさや女らしさというものは、結局のところ生物学的性別の違いによって所与のものではなく、人はなろうと思えば男性にも女性にもなることができるし、周囲もその「事実」を疑うことなどないということが言える。

(5)領域性とは、「生体の行なう領域の所有、使用、防衛を記述するために生態学者が用いる専門用語」だが、「人間の過去の歴史は、主として、空間を他人から奪い、空間を外部の者から防衛する努力の記録である」。そうした社会的集団としての領域性だけではなく、人間は動物の一種として個々人のなわばりをもっている。路上の靴磨きは、自分のなわばりを主張し、その範囲内では他の同業者に仕事を横取りされることを嫌う。「隣家の木の枝や落ち葉が自分の庭に入ってきた」ということは近隣トラブルの原因にもなり得るし、警察官や営業担当者は、自分の担当エリアというものをもっている。「自分の空間」を侵害されることは、その人の生や精神的な安定に対する挑戦であり、「正確、適切である領域を欠くことは、あらゆる状況のうちでもっとも不安定なことのひとつである」。これをもう少し拡大解釈して、「空間のとらえ方」という視点で考えてみれば、人と人とが向き合っている方向によって、ゴッフマンの言う「出会い」の場が生まれるか否かが変わるし、話をする声の大きさについても、近い距離(小さな声)から遠い距離(大声)までさまざまに変化する。

(6)時間性とは、読んで字のごとく、時間の扱い方が集団によって異なるということである。例えばアメリカ人は、予め決められた予定を非常に重視して、物事を開始する際には「予定された時刻」が非常に重要である。しかし、ある未開の民族においては、伝統的な儀式が始まるのは「機が熟したとき」であって、明確な基準は存在しない。だからホールは、そろそろその儀式の時期と思って現地に行っても、何時間も何日間も音沙汰なく、待ちぼうけを食らい、かと思えば何の前触れもなく儀式が始まる様子に振り回されたそうだ。本書の中では主にこの時間性について、具体的な例を挙げて考察しているのでこの点については後述したい。

(7)学習とは、本質的にある技術や知識、言葉などを覚えることだが、「それが言語を使用することによって時間と空間の中に拡張されることができたとき、適応機構としての真価を発揮するようになった」。例えば、「子鹿は、銃をもった人間が現れたときの母鹿の反応によって、銃をもった人間について学習することができるが、言語をもたないので、現実の例示がない場合には、仔ジカがあらかじめ警戒する方法はない。動物は、将来の必要に備えて、学習を記号というかたちにして貯える方法をもたないのである」。

その学習は、文化により学習の方法や重点の置き方は異なる。例えば、自然現象や社会現象などについて学ぶ際に、「なぜそうなるか?」という論理を重視することもあれば、単に知識を機械的に覚えることを要求される地域も存在する(従来の日本における知識重視の教育と思考力重視の教育を思い浮かべるといいかもしれない)。学習の内容にしても、とにかく実践的で実生活や仕事のうえで役立つ知識や技術の習得を目指す教育もあれば、そういったことよりも一般的な論理的思考能力を磨くことに専念する文化もある。指導の方法にしても、手取り足取り教えるところもあるし、一切身体的な接触を許されていないところもある。言葉だけで教える場合も、身体を使って学ぶ場合もある。そして、彼によれば「一度特定の方法で学習するようになってしまうと、それと別の方法で学習することはきわめて困難になる」。翻ってみれば「文化とは『学習され、共有された行動』のことだから、文化のほかの面は学習の仕方を反映することになり、生の根本的活動のひとつとなる」。だから、海外に行って何かを指導する際には、その地の人々の学習方法を理解することによって、その人々の「覚えの悪さ」や「要領の悪さ」に戸惑わなくて済むようになる。

(8)遊びとは、子どもがボール遊びに興じることから大人が旅行に出かけることまで非常に幅広い行為を含んでいる。地球上のほとんどすべての民族には、「冗談を言いあえる仲」や「遊び仲間」が存在する。遊びは知的・身体的な発達や成長と密接な関係をもっており、友達と一緒にボール遊びをすれば身体が、チェスや将棋をすれば頭の回転が鍛えられることになる。だが、その目的において文化的な違いが生じることがある。たとえば、西洋の遊びはしばしば「競争」的な意味合いをもつことがあり、ほかの誰かに勝利するために躍起になる。しかし、ニュー・メキシコ州のプエブロ族においては、競走でさえも子どもから青年、老人までが一緒に参加する。これは、競走の機能がただ「自己の最善を尽す」ことにあるためである。

(9)防衛とは、宗教、医療、法などの分野において自然界や人間社会における「敵」から自己を守ることである。法は、ホッブズ流に言えば、「自己の身体や財産の安全を相互に保証しあうための、(実質的な)強制力や実力をともなった合意」のことであるが、例えば夫の姦通が許される集団もあれば、両性ともに不貞が指弾される社会もある。それは、議会によって明文化される場合もあれば、社会的な慣習や道徳のように不文律である場合もあるが、いずれにせよ、社会的な逸脱者・違反者への処分として機能している。軍隊は外部の人間社会に対して、医療は病原菌や疾病に対して対抗するためのものである。とりわけ、西洋においては、ある人が病気になった場合、その人は自分の不摂生や不注意などにその原因を求め、科学的な知識をもって治癒しようとするが、アフリカなどの部族においては、ほかの誰かの呪いや禁忌を破ったことが原因と考え、祈祷師や呪術師に解決を依頼する。宗教は、自己や集団の内部に生じる危険性に抗する機能をもっているが、「アメリカ人はほかのどの国民よりも宗教を小さなひき出しに区分してしまい、その社会的機能を縮小させる傾向がある」。つまり、日曜日に家族で礼拝に行く習慣があるとしても、宗教的な時間を過ごすのはそのときだけで、礼拝が終わればそこでいったん区切りがついて、気持ちを新たに車でドライブに行くこともできる。しかし、ある部族は「医療、娯楽、スポーツ、科学など多くの活動を宗教的活動とみなす」。またイスラムの世界においては、宗教は生活そのものであり、行動や口にするもの、身につけるものまでもが事細かに決められている。このように、「宗教の内容、その組織、生活との統合のされ方などは、文化によって大きく異なってくる」。

(10)開発とは、「人間が自己の活動の利便性や効率性、機能性などを向上させるために、自分自身や周辺環境、物質に働きかけて新たなものや制度、実在を存在させしめること」である。彼は「拡張活動」という言葉を使用しているが、例えば「武器の進歩は歯とこぶしに始まり、原子爆弾に終わる。衣服や住居は、人間の生物学的温度調節機構の拡張である。家具は、地面の上にうずくまったり、座ったりすることの代わりをする。眼鏡、テレビジョン、電話、時間・空間を越えて声を運ぶ書物などは、物質的拡張の例である」。人間は自身の経験を表現し、他者に伝えるために言葉を発明し、新たな単語・概念を生み出すことによって自身の認識世界を拡張し、知識を蓄えることによって、他者や過去の人々の経験や技術を継承できるようになった。この開発の方向性がその集団の文化を特徴づけるわけで、衣服を発達させた社会もあれば、規律を発達させたところもある。

文化の3つの次元:公式、非公式、技術

彼は、文化には「公式的」、「非公式的」、「技術的」の3つの次元があると言う。公式的次元の文化とは、「その社会や集団の人々に広く共有され、日常生活の中に溶け込み、自然で当たり前のことであると考えているようなもの」を指す。例えば和食を食すときのことを考えてみると、一般的に寄せ箸や迷い箸といった行為は無作法とされ、またペン箸や握り箸は正しくない箸の持ち方とされる。しかし、それがなぜダメなのかと問われると、答えに窮してしまう。このように、公式的な文化は、それがあまりにも当たり前のことであるゆえ、その型の理由については曖昧であることが多い。非公式的元の文化は、公式的な文化と同様、その型の由来や理由については曖昧ではあるが、共有の度合いについては個々人や小さな集団に共有されているにすぎない。例えば、味噌汁にトマトを入れたり、チョコレートを入れたりする家庭や地域がもしかしたら存在するかもしれないが、そうした人々は、和食を食べる日本の人々全体からすればごくごく少数だろう。技術的次元の文化は、公式的なものと同じく広く共有されているが、ほかの2つとは異なり、客観的で明確な理由が存在する。例えば、「美味しいご飯の炊き方」には、米と水の比率や米を炊く時間、米のほぐし方などがあるが、それはそうしないと水っぽくなってしまったり、逆にパサパサしてしまったりして、美味しくならないからである。こうした公式的、非公式的、技術的な次元が、個や型、型が現れる10領域のそれぞれに存在している。

文化の変化と再帰性

だが、これらの次元は静的なものではなく、常に変動し、あるとき公式的であったものが非公式的なものになったり、非公式的なものが、技術的なものになったりする。例えば、伝統的な社会においては、「個人は共同体の一員にすぎず、自由が厳しく制限されることもやむなし」という認識が公式的な規範であったが、現在では、国家や社会のレベルで個人の自由が保証されている。例えば、ひと昔前までは「男は仕事、女は家庭」といった性的役割分業が(暗黙のうちにではあるかもしれないが)公式的な文化となっていた。しかし、現在においては、そうした考え方を保持していると世間から糾弾され、あくまでも個人の思想的な自由の範囲内に収められている。歌舞伎や能、着物などは政府も認める日本の公式的な文化であるが、マンガやアニメ、ゲーム、「カワイイ」ファッションなどは、一般的にサブ・カルチャーと呼ばれている。義務教育制度の中で教えられることは、公式的な学習であるが、友達や先輩などの個人的な交友関係から教えられる遊びは、非公式的な学習となる。科学は、その定義上、非常に技術的なものであるように思えるが、ホールは「現在、科学の名のもとに行なわれている仕事のかなりの部分は、むしろ新しい公式的な体系とみなされるべきであり、この新しい体系は、かつて民間信仰や宗教を中心に存在していた古い公式的な体系を急速に駆逐し、それにとって代わっている」にすぎないと言う。つまり例えば、現代で言う神経症や統合失調症は、未開社会においては、悪霊や呪いのせいにされ、その対処は宗教の範疇に収められていた。しかし、フロイトはそれを精神医学というカテゴリーに属すべきものと考え、自らの理論を構築していった。だが、フロイトの「無意識」や「性的抑圧」といった概念は、C.G.ユングらに批判され始めた頃から、あくまでもフロイト派の人々における「公式的な見解」にすぎなくなり、「科学」の名に値する「技術的なもの」であるとは認められなくなった。また、精神医学という分野自体もまた、ミシェル・フーコーなどによって「権威と権力関係を生じさせる裝置、ないし恣意的な道具」と批判されたことで、世に信じられているもののひとつとなった。こうした主張は、アンソニー・ギデンズの近代における再帰性の議論と通じる部分があるだろう。すなわち、近代の特徴は、ある制度や理論、主張、製品、技術などが絶えず再検討され、刷新される点にあるという議論である。ホールは、「生物学的な意味における種と同様、文化もまた死に絶えたり、生き残ったりする。適応能力の高い文化もあれば、低いものもある。〔…〕文化変化の特色のうち、しばしば指摘されているものは、ひとつの考え方なり慣行なりが、それを排除しようとする試みに執劫に抵抗を続けて、長期間にわたって存続したものの、急激になんの前ぶれもなく崩れ去ってしまうということである」と述べるが、これはようするに、文化は社会の変化によって、自然に、あるいは政治的な闘争によって死を迎え得るということである。エドワード・ショーターのロマンティック・ラブについての議論と関連させて言えば、たしかに伝統的なキリスト教社会においては、婚前の性交渉は固く禁じられており、家族は「公式的」な男女関係のあり方を刷り込むかもしれないし、共同体は集団で禁忌を破った者に制裁を加えるかもしれない。しかし、共同体が個人の生活を保障する力が弱まり、都市での雇用労働によって人々が生計を立てられるようになると、恋愛は個人の自由となり、結婚する前に何人の人とつきあうことができるようになった。それは、「古き良き時代」を知る良識派の人々がいくら嘆き、憤ろうとも、とめることはできなかった。フィリップ・アリエスの言うように、その時代における社会的な文化を形成するのは、政治家や知識人といった「権力」をもつ者ではなく、その社会を構成する個々の人々の日常での必要性や情動である。ホールは、「だれかひとりの人間が独力で文化を『変化』させ得るか否かは大いに疑わしい。むしろ、毎日の生活プロセスにおいて、数多くの小さな適応作業が不断に行なわれている、というのが実情に近いであろう。うまく機能する適応もあれば、そうでないものもあるのはいうまでもない。これらの適応作業がやがて改善というかたちで技術化され、これらの改善がそれとは分からぬうちに集大成され、ある日突然、『一大突破口』という名のもとに喝采をはくすることになるのである」と言う。これはつまり、アンソニー・ギデンズの構造化理論のことであり、人はある社会制度や規範が既にあるからそれに適応し、それを活用するが、社会制度や規範もまた、多くの人がそうしているからこそ、常に新しい生を与えられ日々再生産(≒複製)されていく。だが、近代以降の世界においては、その適応と再生産の過程に待ったがかかるようになり、おかしな点、不十分な点が指摘され、制度や規範が修正されるサイクルが短くなっている。だが、おかしな「公式」にそっぽを向き、社会を変化させていくのは、法や言説を生産する者ではなく、あくまでも「非公式的」な人々なのである。

典型的な文化的差異①:「時」についての考察

では、続いて本書で多くの紙面が割かれている「時間性」についての話に移ろう。時間とは、日常生活においても非常に頻繁に使用される語であるが、それゆえにその意味するところは曖昧ある。どのような文明においても、人々は太陽や月の動きなどを参考にしながら、この世界を一定のリズムやサイクルに区分しようと試みてきた。とりわけ西洋文明においては、年、月、日、時間、分、秒といった単位を発明し、客観的・標準的な時間の創出に成功した。A.ギデンズは、客観的な時間の発明によって多くの人々の生活や労働における管理が可能になり、産業の発展が加速したと述べている。ホールによれば、ヨーロッパや特にアメリカの文化では、「時」を「人間をとりまく、自然界に固定したもの」と考える。そのため、「時」は自分に与えられた有限の資源のようなものであり、時間の行使は基本的にその人固有の権利となる。こうしたことは、「『時』を『稼ぎ』『消費し』『節約し』『浪費』する」という表現があることからもうかがえるが、例えば、アメリカ人は約束の時間から10分待たされるだけでもイライラするが、ラテン・アメリカでは30分や1時間待たされるのはざらにあることである。アメリカの文化ではひとつの「時間」にひとつの「行動や事柄」が対応する関係でなければならず、一度に多くの仕事や案件を処理しようとはしないが、ラテン・アメリカでは、同時に15人もの人々と入れ替わり立ち代わり対峙したり、同時に複数の作業を平行して行うこともある(これをホールは「モノクロニズム」と呼んでいる)。そのため、ひとりひとりにかけられる時間が短くなり、ほんの数分のつもりで来た人に配慮し、わずか1時間ほどで解放することがある。その原因は、アメリカ人は予定を重視するのに対し、ラテン・アメリカでは人間関係が重視される点にある。アメリカ文化においては、時は固定されたものであり、時の仕切りを動かすのは、せいぜい1度か2度が限度であり、あまり「時の仕切壁」を前後に動かし続けることを好まない。だから、アメリカではある意味で杓子定規な面が存在し、彼らにとって最も重要な型として「いったんスケジュールを組んだ以上、後になってそれが不必要であり損であると分かっても最初に決めたとおりに『時』を用いなければならない」という法則がある。ある会議が順調に進み、予定よりも早く満足な結果を得られたり、以上討議を重ねても無駄だと分かった場合には、会議や訪問を打ち切ることもあるが、基本的には、例えば「大学修了に必要な年限」のように、一定の期間はその目的のために使わなければならないということである。しかし逆に、スケジュールを簡単に動かせないからこそ、アメリカ社会において遅刻は(公式的な型に照らしても)御法度だし、契約や議題に無関係な話をして話の進展を遅らせるのは嫌われる。しかし、アラブ文化では、「相手側の示す条件には応じかねるが、きっぱり断りたくもない」とか、単に「その問題を討議するにはまだ機が熟していない」と思えば、議題に関係ない話をもち出して延長工作をすることも許容される。それは、アメリカ人は「会議を開く以上、期日や決められた時刻までに有意義な結論を出したい」と思う一方、アラブ人は「互いが合意に達するまで、いくらでも時間をかけてもかまわない」と考えているからだ。アラブ人にとって、時の区分や記念碑的瞬間は予め決められるものではなく、ある事柄が完了した後に、特定の時点の前後を(結果として)分けているだけなのである。また、アメリカの型では、予め配分された時間内に結果を出すために、会議事項は前もって非公式に決めておく。しかし、ロシアの型では「会議事項の個々の項目をめぐる予備折衝で本会議での相手方の出方がわかると考えている」ため、「初期の折衝段階で、会議事項を技術的に決めないで何を議題とすべきかについて非公式な協定を結ぼうとして穏やかな態度を取るために、ロシア側は『アメリカは弱腰だ』と思う場合が多いのだ。あるいは事実とは反して、アメリカ側がある項目について譲歩する意志をもっているとの印象を与えるかもしれない」。

今まで述べてきたことをいいかえれば、アメリカでは、年、月、日、時間、分、秒といった単位にそって自分の時間を管理・配分する能力が求められ、それができない人は低い評価しか受けることができないということである。ホールの説明で言えば「『時』にははっきりとした区分があり、予定を立てなければならない」ということだ。時間を区分するというのは、つまり「仕事の時間」や「趣味の時間」、「家族とすごす時間」といった大まかなものから、より詳細に「○○月××日、11:00~12:00に会議」、「15:00よりメール返信」、「○○月××日~△△月□□日、出張」といったものにまで区分することが含まれる。だから、例えば急を要する用事でもない限り、朝食を食べていたり、通勤・通学のために着替えているような早朝、あるいはお風呂に入っていたり、就寝しようとしている時間に電話をかけることは配慮を欠いた行為とみなされてしまう。だが、例えば南太平洋のある島では、そうした文化が存在しない。本書にある説明によれば、とあるアメリカ人の工場長が、南太平洋のある島において、土地の習慣に見合った雇用をするように現地人の人々から要求されていたのだが、彼はその要求を拒み続けた。そこで島の住人たちはある晩、各部族の首長を集めて会合を開き、結論が出たその足で工場長のもとへ向かい、彼を夜中の2:30に叩き起こして事の次第を説明しようとした。ところが工場長は、住人たちの「襲来」に驚き、反乱を起こされたと思い海兵隊に出動を求めてしまった。アメリカの場合は、何か重要な(、しかし緊急ではない)ことを伝えようと思えば、仕事が始まる前か後の「仕事をしている人が手を休ませて聞かねばならぬ時間」にそうする。このように、文化によっては、何かを伝えるタイミング自体がメッセージとなり、物事の重要度に応じて、適切な時刻や時間帯などが存在する。彼の言葉で言えば「ある特定の状況においては大きな意味をもち得る。『時』はあるできごとの重要性を示すのみか、どのレベルで人間と人間の間の相互作用が行なわれるかをも示し得る」ということである。

またアメリカでは、時間とは常に未来へと向かうものであり、変化と進歩を希求している。しかし、その一方で過去にはあまり大きな意味が与えられず、したがって「伝統」というものは次々と隅へ追いやられてしまっている。むろん、だからといって過去を蔑ろにするわけではないが、過去は将来の変化や成功に役立つ限りにおいて意味がある。それゆえに彼は、「アメリカのビジネスにおいて過去は経験や知識とほとんど同義語であるとみなされており、過去自体を懐かしむためというよりは、我々が最も珍重する所有物たる知識の量を計算し、将来の成功の度合を推量する」と言っている。しかし、中東では未来のことはあまり考慮されず、逆に現在や過去が重視される。だから、「イランの実業人は大金をありとあらゆる工場に投資こそすれ、その工場をどう使うかについてはなんの青写真ももっていないことがしばしばであった。毛織物工場の設備が購入されテヘランに送られたが、それを買った人は工場を設置し、器材を整えることはおろか、従業員を訓練するための資金すら準備できていない有様だった。イラン経済を助けるために同地に渡ったアメリカの技術者チームは、計画性の完全な欠如としか考えようのない事態となんとか取り組まねばならない必要に、絶えず迫られたものであった」。1週間先の約束など忘れる方が普通で、3、4日後の食事に誘う際に「急なことで申し訳ありませんが」と謝罪する必要のあるアメリカ社会とはまるで違う時間意識をもっている。

人は、客観的には同じ「1時間」であっても、主観的には長い短いを感じることがある。例えば、興味のない話を延々と聞かされる1時間はすごく長く感じるだろうし、逆に自分の趣味に打ち込んでいる1時間はあっという間に過ぎてしまうだろう。アメリカ人の場合、「多様性」がそうした主観的な時間の長さに影響を与えるとホールは言う。「アメリカの大衆は多種多様な品物、食物、衣類などを要求し、職業や経歴や趣味の多様性を求める」。毎日同じ仕事を繰り返して、同じ食事をする生活よりも、日々新しい物事や食べ物に挑戦し、刺激を求めている。若い娘が「ダンス・パーティに男の子たちがいなくてつまらなかったわ」と母親に嘆くとき、それは「顔見知りの人しかいなかった」という意味であり、生活に多様性があるか否かは重要な問題となる。それは個人のレベルだけではなく、産業のレベルにおいても「絶えず革新が行なわれなければ、産業施設を拡大しつづけることができない」。とりわけビジネスの場においては、その人がどれだけ多くの経験を積み、行使できる能力や人脈の幅を広げてきたかが問われるのであって、ただ年齢を重ねることにはあまり意味がない。「成熟したり年をとったりすること自体が『多様性』を構成するとは考えられない」ということである。しかし、例えば「ニュー・メキシコ州に住むプエブロ族にとっては、年をとることじたいが経験なのだ。プエプロ社会での信用や地位が高まるし、意志決定に際しての役割も大きくなる。このような見方からすれば、『多様性』は生活の本質的な一部であり、自己に内在する一面であり、アメリカ人とは根本的に異なった人生観を生み出している」。

典型的な文化的差異②:「空間」についての考察

本書では、時間と同様、「空間」についてもホールは考察している。空間もまた時間と同じく、言葉で厳密に説明しようとすると難しい概念であるが、彼が考察しているものには例えば「領域性」がある。彼曰く「人間は領域性をほとんど信じがたい程度にまで発達させた」。だが、一方で「我々の空間の取り扱い方は、性に対する取り扱い方に多少似ていて、領域性が厳として存在するにもかかわらず、口に出して言わないのである。口に出すにしても、技術的になったり、真剣になったりすべきものではない、と考えられている」。例えば、自分の家の中にしろ、たまたま行った講演会にしろ、ほとんどの人は「自分の席」というものをもっていて、その席や椅子に誰かが座っていると落ち着かない気持ちになる。客人や同席者は「あなたの席でしたか?」と言って詫びるが、家の主や先に席についた人は「いえ、別にかまわないんですよ」と答えなければならない。そこで怒りを露わにし「おれの椅子だ。ずうずうしくすわりやがって。ほかの奴に座られてたまるものか」と言ってしまうことには、客観的な賛同が得られにくいのである。彼の言葉で言えば「我々の文化には、空間に対して抱く感情を故意に軽くあしらったり、あるいはそうした感情を抑圧し、分離するように仕向けたりする傾向がみられる。われわれは領域性を非公式な段階にまで落とし、そして自分の場所が他人に占領されたために腹がたつ時にはいつもなんとなく気がとがめるのである」ということだ。また、アメリカには、親愛の情を示す場合以外には、とりわけ見知らぬ人同士が居合わせる公共空間では、できるだけ接触を差し控えようとする「型」が存在する。だから、満員の電車やエレベーターに乗った際に、体をすぼめるのである。それは、腕や脚といった物理的身体以外にも、においといった物質的身体にも当てはまる。中東では、体臭をぷんぷんと撒き散らすことにあまり咎めはないが、アメリカ人がそうしたキツイにおいの中に放り込まれると面食らってしまうことになる。

「空間」を「複数の人や物体同士の間隔や距離」ととらえれば、人間関係についても考察することができる。とりわけ、「アメリカでは空間的近接は多くの人間的関係の基盤をなしている」。日本語にも、「遠い親戚より近くの他人」という言葉があるが、アメリカの隣人関係には「ある種の特権・権利と義務・責任が生じてくる」。つまり、「食べ物や飲み物といったような物を借りることもできるが、他方、隣人が急病になれば病院にかつぎこんでやらねばならない。緊急の際には、隣人はいとこと同じ位の権利を我々に要求する」。このように、アメリカでは周りの人たちと緊密な関係をもたざるを得ないので、「アメりカ人は住宅環境を選ぶ際に慎重である」。しかし、イギリスやフランスでは隣人であるからといって、必ずしもそうした「出会い」が生じるわけではなく、イギリスでは近所に住んでいるというだけでは、一緒に遊ぶ理由としては不十分で、隣の家で遊ぶとしても1ヶ月も前から約束をしたりする。

空間の分割と結合の方法にも、文化的な差異がある。例えば、アメリカでは「角」を用いて位置を特定する。もしも角がない場合には「西に5マイル、北に2マイルいった所」という具合に、人為的に角をこしらえる。そして、それは均等かつ画一であることが好まれ、アメリカの都市は「ブロック(小区画)」という四角形によって、互いにほぼ同じ大きさに分けられている。しかし、別の国ではブロックの大きさがまちまちなこともある。アメリカでは、厳密な画一性が好まれ、その傾向は部品の規格化・標準化といった工業活動にも現れている。そうした態度は、製品の大量生産や異なる主体同士の協力を可能にし、経済の発展に大きく寄与してきたと指摘することもできるだろう。日本でもそうした画一性を観察することはできるが、ホールの挙げている例で言えば、「日本では畳や窓、戸などは個々の地域内では同じ寸法であり、売家や貸家の新間広告では、ある決まった大きさの畳の数で家の広さを表す」。しかし、それは厳密な意味で等しい単位を使っているわけではないため、多少のズレが生じる場合がある。例えば「非常に大量の電子機械部品の注文を受けた日本の業者は、厳格な仕様書に従って部品を製造した。彼らにとって仕様書の要求を満たすのは容易であった。ところが製品がアメリカに到着してみると、部品の大きさがパッチによって違うのである。やがて注文主に分かったのだが、製造の全内部工程では管理が行き届いていたのに、なんと計器類が規格化されていなかった」ということがあったそうだ。アメリカが工業技術や生産性の向上で大きな成功を収めた要因は、「型」の厳密な同一性に注意を払い、ほかの同じような行動の「型」を管理していたことにあるのである。

文化を学ぶ意義:再帰的自己理解

さて、本書でホールは具体的な例を見ながら、文化の「型」について考察し、より深い段階の文化的差異をとらえようとしたわけだが、しかしそもそも文化を研究することにはどんな意味があるのだろうか?もちろん、グローバル化が進む中で、自分が生まれ育った文化とは異なる文化の中に身を置かなければならない状況になったときに、少しでもカルチャー・ショックを和らげ、1日でも早くその地に馴染めるようにするという、人間の社会的活動に貢献する意味があるだろう。しかし、彼は「長年にわたる研究の結果、私はいまでは、我々の本当の仕事は、外国の文化を理解することではなく、自分自身の文化についての理解を深めることにあると信じている。〔…〕異質の文化を研究する究極の目的は、自分の文化の体系がどのように機能するかについて、知見を広めることにある」と言う。彼は「文化というのは物を明らかにもするが、それ以上に隠蔽もする。しかも奇妙なことには、なにが見えないといって、自分自身の文化ほど見えないものはない。〔…〕異質なものに我が身をさらすことの意義は、いきいきとした力を感じ、知覚を鋭ぎすますことにある。生に対する関心は、異質なものに触れて、自分のものといかに対照的に異なっているかを痛感したときに、はじめてわれわれをとらえるものなのである」と述べ、「他者」を見つめることで自分を改めて理解する「再帰性」を論じている。彼は文化を「牢獄」に喩えるライオネル・トリリングを引き合いに出し、「その戸を間ける鍵があるのを知らないならば文化は実際牢獄なのだ」と言う。文化は私たちをあまりに自然に、かつ無意識のうちに取り込み、それでいてそれぞれの集団や社会に固有の存在であるため、あたかもその文化しか存在せず、それ以外はすべて不合理で間違っているとも感じてしまうことがある。それが極端なかたちを取れば、国粋主義や保守主義、自民族中心主義(エスノセントリズム)といった勢力に加担することもあり得るだろう。しかし、本来「人間は自分を締めつける手段として文化をつくりあげたのではない。動き回り、生活し、呼吸し、自分の特異性を伸ばす手段として文化を築きあげたのだ」。ジュディス・バトラーやガヤトリ・スピヴァクが述べるように、人の国際的移動が活発化し、さまざまな出自の人々がひとつの社会の中に並存する度合いが高まっている現在において、ある国の文化とはまさに、その国や社会が生まれた当時から続く伝統的で公式的な文化で、それは「多数派の文化」でしかなくなっている。また、アンソニー・ギデンズが主張するように、文化や社会制度は確固たる「構造」として人々の外部に、静的に存在するのではなく、むしろその妥当性が絶えず検証され、日々更新され続けているのが、現代の特徴である。ギデンズによれば「原理主義」とは、「伝統を伝統的な仕方で擁護し、話し合いや変化を拒絶する態度」のことであるが、それゆえに「外敵」に対して過激な態度・行動に出るからこそ、危険な存在となる。ホールはそうした危険な心理を振り払い、民族の団結をうたって自分の権威を高めようとする「社会的不具者たち」に利用されないよう願っているのである。

だが、一方で「(伝統的)文化に縛られない」という文言は、無秩序な文化の破壊を擁護しているのでもない。文化には、その集団の歴史という側面があり、その集団に属する人々が試行錯誤を繰り返しながら少しづつ改良してきた様式と考えることができる。そこには過去に学ぶ、あるいは予期し得る不都合を回避するという意味を見出すこともできるだろう。重要なのは、伝統や文化、社会制度はその「型」を規定する目的や前提に疑問が生じたときに、現在の状況に合わせるようにして変化を経験させていくべきであることを認識することである。文化はたしかに人のアイデンティティを規定し、またその集団への帰属感を与えてくれる。だが、ホールが言うように、「文化は単に人間の上に諜せられているだけではなく、きわめて広い意味では『文化すなわち人間』」なのである。真の自己理解は、常に他者との比較の中で可能となり、「『文化とは何か』を真に理解すれば、人生への興味が新たに沸きおこることであろう。人生への関心が現在あまりにも欠けているのだ。人々は、『自分はどこにいるのか』、『自分はだれなのか』を知るようになるであろう」。集団への盲信は、第2次世界大戦のような悲劇を生む源となる。文化とは、個人の所有物ではなく、集団の共有物でしかなく、「人間鎖を緩めるためにを結ぶ絆であり、人間がお互いに作用するための手段である。人間の生活が意義深く、豊かなのは、複雑な文化に含まれている何百万という可能性が結びつき得るからなのだ」。グローバル化の中で、多種多様な人々が入り混じり、共に生きていかなければならない現代であればこそ、ホールの思想は、いっそう重要な洞察を与えてくれるのだろう。

参考文献

  • エドワード・ホール著『沈黙のことば』,国弘正雄,長井善見,斎藤美津子 訳,南雲堂 ,1966(原書:1959), 全252ページ

自己紹介

自分の写真

yama

大学時代に読書の面白さに気づいて以来、読書や勉強を通じて、興味をもったことや新しいことを学ぶことが生きる原動力。そんな人間が、その時々に学んだことを備忘録兼人生の軌跡として記録しているブログです。

このブログを検索

QooQ