ロベルト・ミヘルス(1910年)『現代民主主義における政党の社会学』

公開日: 更新日:

社会学 政治学

この記事をシェアする
  • B!

紹介文

「どれだけ民主主義的な理念の下で結成された政党であっても、それが力をつけてくれば必ず寡頭制に陥る」。本書の著者ロベルト・ミヘルスは、民主主義政党の《法則》についてそう述べる。彼はドイツ社会民主党の党員として活動した経験を踏まえ、「(指導者の)個人心理」、「組織の必要性」、「大衆心理」といった要因が絡み合い、遂に寡頭制が完成するメカニズムを明らかにする。政治的闘争での成果を上げるため、官僚的になっていく組織、権力の座に就くと変わっていく指導者、それでも指導者を求める大衆…。そんな光景は、貴族主義者な政治の打倒を志した若き日の彼に深い失望を植えつけた。ミヘルスはそんな失望を抱えながら、学者として代表制民主主義が抱える矛盾を体系的に分析する。政党制民主主義はいかにあるべきかを考えるうえで、知らなければならない現実が本書にはつまっている。

本書の概要

本書は、ドイツの社会学者ロベルト・ミヘルスがドイツ社会民主党の党員として活動した経験をまとめた著作である。その結論を端的に言ってしまえば、「どんなに民主的で民衆支配を標榜する政党であろうとも、諸々の社会的・個人心理的なメカニズムから、政党は必ず寡頭制に陥る」ということになる。民主主義の潮流はあたかも《不断に打ち寄せる波》のようなもので、《それはつねに〔寡頭制という〕岩にぶち当って砕け散る》。《それはまた絶えず再び新たな巨渦となって押し寄せるが、民主主義が一定の発展段階に達するやいなや、退化の過程が始まり、民主主義は貴族主義的精神を帯び、またしばしば貴族主義的形態をもとり、かつて自分たちが反対して闘ったものと似たようなものになる》。それは、《寡頭制を非難する新しい告発者》、《新たな自由の戦士》によって救われるが、時間が経てば《彼らもまたついには旧支配階級の一部となる》。この《冷厳なゲーム》は果てしなく続く、《党の歴史の最も内奥に印された特徴》となる。この歴史的事実を彼は、《寡頭制の鉄則》、ないし《寡頭制の歴史的必然性の法則》と呼ぶ。本書はそんな《寡頭制の鉄則》が発生・成立するメカニズムを分析した書物である。では、なぜ政党は寡頭制に陥るのだろうか。そのメカニズムについて見ていこう。

君主制・貴族主義政治の特徴

人間社会は、その《最低段階では専制政治が支配的》である。つまり、《1人の者が命令し、他の人びとが従う。1人の意志が国民の意志を破ることができる》ような政治システムであるが、このような状態は《絶対主義的君主制》と呼ばれる。だが、その後貴族たちによる国王への反逆が起こり、やがて《立憲的絶対主義的君主制》に移行する。そんな立憲的絶対主義的君主制の時代も終わり、国王が象徴的・形式的な存在となり、少数の貴族たちによる貴族主義的な共和制が始まる。そして、そんな貴族主義政治の支配も時代が下ると、やがて民衆が発言力を強め始め、政治の場はより多くの人々に開かれるようにと、民主主義的な様相を帯びることになる。この民主主義の確立は、激しい大衆運動と闘争の結果得られたものであるが、その政治形態は《少なくとも政治的憲法的生活の重要な領域においては、貴族制の古い堅固な形態を永久に破壊した》ため、腹の中では君主制・貴族制の復活を願っている者であっても《民主主義的な風》を装わなければならなくなっている。古い時代の支配者であった貴族たちは、《多くの君主制国においては、国家の政治的指導を手中に収めるために、何ら議会主義的な多数者を必要としない。貴族には伝統的な結合、家族関係、陰謀、土地所有、軍事力などで十分である》。しかし、《装飾的目的や世論に好ましい影響を与えるということだけのためにも、したがって予防として、つねに堂々たる議会代表を必要とする》。民主主義の政治システムの中にあっては、権力を維持するには国民の支持が必要であり、《同じ身分の仲間や経済的利害を同じくする者にだけ訴えることによっては、ただの1つの議席も獲得できないであろうし、議会にただ1人の代表も送れない》。だから彼らは生存戦略として、《プロレタリアートに対し民主主義的資本による搾取から守ってやると約束し、またその強力な労働組合の支持のみならず拡大をすら約束する》。つまり、《選挙期間中にはその高貴な座から降り、われわれの社会階級のうちで最も若く、最も広範で、最も教養のない階級、つまりプロレタリアートによって用いられるのと同じ民主主義的かつ煽動的な手段に訴える》のである。だが、その真の目的は、《共和制を打倒し貴族主義的原理の最高の成果である王制を再び復位させる》ことにあるとミヘルスは考える。国家理性の偉大な教義論者=貴族主義者たちは、《国家理性の民主権と闘い、人民主権を混乱したものとして、また絶え間ない混乱状態に導くものとして否認》し、全身全霊で《権威、制限選挙権を要求する》。ミヘルスは、当時のこうした絶対君主的・貴族主義的な主張をする集団を《保守主義者》と呼び、そうした集団の政党を《保守党》と呼んだ。

しかし、少数者の支配を標榜することが彼にとっての「保守性」ではない。その本質は《本性上不変、経験的には善なるもの、あるいは最もそれゆえ永遠の価値をもつものとされる規範》の打ち立てられた《既に存在しているものの、とりわけ現存の法形態の単なる承認》にある。《その人物の性格に(国民生活の)すべてを賭ける》者を「君主」、政治的支配権を特権的に保持している者たちを「貴族」と呼ぶのであれば、それらは(たとえ、現在の世の中で風前の灯となろうとも)古来から生き永らえてきた存在であるという意味で、(その特権を守ろうとすることは)「保守性」を帯びる。

民主主義の原理は《1人の人間の他の人びとに対する生得的念、あるいは後天的な権利を否定する。民主主義はすべての市民を法律の前に平等におき、抽象的には各人に社会の階段の最上段まで登る可能性を与える。出生のあらゆる特権を法の前に否定し、人間社会における優位をめぐる闘争をもっぽら個人の才能によって決することにより、社会の全成員の諸権利》に道を開き、《原則として主人である国民全体がその統治状態に責任を負う》。しかし、貴族主義政治においては、《一定程度の経済的豊かさに達した男性が自分の獲得あるいは奪取した財産を、自分の子供だとほぼ確実にみなすことのできる正統な息子に、相続によって譲り渡そうとする内在的傾向》、いいかえれば《相続本能》とも言えるものにしたがって、権力を自分たちの中で独占し、世襲していこうとする。

反民主主義打倒運動:民主主義的政党の萌芽期

しかし、そうした権力の埒外にいる大勢の人々は、《自分たち自身よりもむしろ全人類を、支配する少数者の軛から解放し、古い不当な体制を新たな正しい体制に取って代えよう》と社会運動を起こす。保守的な時代においては、権力所有者も権力所有者になろうと欲した人たちも《彼ら自身の個人的権利についてしか語らなかった》が、民主主義の時代においては、「自分たちだけの権利」を叫ぶことは《反倫理的》であり、今日では、《公的生活のすべての構成員が国民と社会全体の名において語り、闘う》。それは、《明白な階級政党》であることを自認する(当時の)社会主義政党にも当てはまり、それゆえ《彼らは、「労務者」の概念を労働者・サラリーマン階級から上流人の限界ぎりぎりまで拡大しようと絶えず試みる》。ミヘルスは、このような現象を、政党の発足時に与えられた、あるいは《党の基本綱領によって吸収された成員を越えて膨張する内在的傾向》とし、それゆえに《若い解放運動のあげる理念的気勢は、反民主主義的な学者たちから、全体の福祉を自分の特殊念福祉に奉仕させる必要から生じた「方便の自己偽繭」、蜃気楼的幻想》だと批判される。

こうした大衆運動は、敵陣からの攻撃に曝される非常に厳しい「闘い」である。しかし彼によれば、大衆運動は《少数の例外を除けば、すべて自然的なものであって、決して「人為的」なものではない》。ここでいう「人為的」というのは、誰か明確なリーダーが周囲に闘争を呼びかけるという意味で、「自然的」とは誰が始めたとも知らない流れが、誰も止めることができずに現に存在し続け、拡大するという意味である。だから、《指導者が先頭に立っている運動ですら、たいていの場合、その指導者は自ら進んでではなく、周囲の諸事情に強いられて闘争運動に引っ張り出される》もので、指導者は務める人物は大変なストレスに直面することになる。

政党結党後の問題:民主主義のジレンマ

しかしいっぽう、そうであるがゆえに、《大衆が指導者を奪い取られるときに生じる運動の瓦解も、同様に自然的な成行き》となる。大衆運動にとって、この瓦解という結末は最も避けなければらないもので、もともと分裂し、無力な個人は、連帯・集結し、大きな組織になることではじめて強者と闘争するうえでの武器を手にすることができる。《労働者階級の重要性と影響力は、もっぽらその数的大きさ》にかかっており、《その集合体に構造を与えることによってのみ、プロレタリアは政治的抵抗力と社会的尊敬を獲得できる》と彼は言う。《数の力を示すためには、外的に整序された秩序が必要》で、それゆえ《組織の原理は大衆の社会的指導の必要不可欠条件とみなされなければならない》。ここに、党の運営を専門的に担う指導者と執行部の必要性が生じ、その結果、必然的に官僚制的な組織が誕生することになる。だが、たとえ労働組合のような民主性を標榜する組織であっても、強力な交渉力を備えるためには、《根深い少数者支配への傾向》に身を委ねざるを得ず、《指導する少数者と指導される多数者との2つの部分に決定的に分割する》ことにつながる。だが、それはなぜか。大衆による直接統治は、《集団生活の形成に人民の意志をできるだけ直接的に投影させ、リーダーシップをできるだけ克服しようとする試み》であり、《人民が集会し、この集会の本来の手続きにもとづいて議決をするような国家だけが民主的と呼ばれ、これに対し人民の代表による統治は民主制ではなく共和制》と呼ばれるにもかかわらず、なぜ、政党は事実上、指導者たちによる少数支配に陥るのだろうか。

この点については、ひとことでいえば、政党の「規模」と「政治の舞台において取らざるを得ない戦術」に根本的な原因がある。政治学者ロバート・ダールやチャールズ・リンドブロムも言うように、《厳格な民会も、話題になっている一般的問題案件をあらかじめ区別し、議事日程を組み立てる一団のメンバーなしにはうまくやっていけない》。政治の舞台は、ある議題について各々が意見を述べ、議論をする場であるが、肝心の議題の内容は予め存在するものではない。何を議題にするのか。それを決めるのも人間である。しかし、個々人にとっての重要事項はそれぞれ異なり、同じ政党の党員といえども常に一致するわけではない。それを議論するところから時間がかかってしまっては、対立する政党と論争をすることすらできない。生き馬の目を抜く政治の舞台では、素早く自分たちの意見を表面できなければ、相手側に付け入る隙を与え、主導権を握られてしまう。直接民主制は、ひとりひとりが意見を表明することを前提とすれば、それだけ時間がかかるプロセスである。それゆえ、《直接民主主義は代表制の助け》を借りて活動せざるを得なくなる。

また、彼は大衆心理の観点からも《寡頭制的指導体制の発生》を説明する。彼は、《大衆は少数の聴衆よりも支配しやすい》と考える。なぜなら、《大衆の同意は熱狂的で、大まかで、無条件的であって、ひとたび暗示にかかるや少数者や個人の反対を容易に受入れない》からである。《50人から成る集団に分けられれば、同意を与えるのにもっと慎重になる》にもかかわらず、《同じ狭い場所に集まっている大群集はいつの場合でも、構成員が相互に理性的に語り合うことのできる少人数の集会よりも、突然の恐怖、無意味な熱狂などに陥りやすい》。党員である大衆は《その代表者に対して全能で、すべての役職者は大衆意志の執行機関として従属的で、大衆はいつでもその地位を剥奪し免職することができる》。しかし、大衆は「大衆」である限り、慎重で理性的にはなれない。こうした理由から、「意思決定のスピード」と「統一的意志を示すための統制」のためには、《参加者の数が増大する場合には、民会は役に立たない》と彼は考え、結局、《全市民にあらかじめ印刷して送付された議案を―より突込んだ討議に入ることなく―票決するためにだけ集会する》ということにならざるを得ないと述べる。

寡頭制確立の加速要因(1):官僚制的組織の必要性

しかし、どんな政党もはじめから「大衆」を抱え込めるほど大きかったわけではない。先程も述べたように、それは「自然」発生的な運動が発端となって生まれるもので、《党の幼時期》においては、《党の主要な仕事が社会主義の基本理念の宣伝》に限られるため、《知識人の理想主義や熱狂、プロレタリアートの善意や自発的な日曜労働》でも党の活動をこなすことができる。いいかえれば、この時点においては「兼職」指導者の数が多い。だが、そうした活動が実を結びはじめ、《公的装置が拡大し分岐していけばいくほど、つまり組織が多くの成員を獲得すればするほど、金庫が一杯になっていけばいくほど、機関紙が伸びていけばいくほど》、党の活動範囲は大きくなる。全国各地に支部を設け、「国民」の代表としてふさわしい政治的諸制度の体系化・具体化のため、労働、治安、経済、外交などさまざまな分野のことがらについての意見を取りまとめていかなければならない。だが、そうやって組織が拡大していくにつれて、ボランタリーな兼任の指導者だけでは手が回らなくなるため、専任の《職業的指導者》が必要になる。しかも、《管理の任務が増大するだけでなく、ひと目で見渡すことが困難になり、義務範囲が拡大し、ますます分岐する》。支部の運営は、支部の長を中心とした運営に、政党としての立場を形成するのは委員会に委任されていくという具合にである。たしかに、民主的であることを謳う政党であるからには《綱領的には、指導者の一切の行動は大衆の絶えざる監視に服している》のだが、《成員たちは次第にますます、個々の管理業務を自ら規制することを、あるいは点検することさえ、放棄》せざるを得ず、《任ぜられた委託人、有給の職員に任せ、自分たち自身は非常に簡単な報告と監査人の任命とに満足しなければならなくなる》。大量の情報を効率的に処理するには、マックス・ウェーバーが描いたような「官僚制的組織」が必要不可欠になる。職務の内容は厳密に規定され、多くの階層的な審級序列を厳守することを旨とする、《全権にもとづいて常に大衆を代表し業務を処理する、少数の個人》への委任は、《間接選挙》というかたちでも現れ、寡頭制の土台を「合理的な流れ」にもとづいて、形成していく。

寡頭制確立の加速要因(2):大衆心理

くわえて、そもそもそうした政治的議論に参加する意欲をもっている人は、むしろ少数派である。《規則的に集会に出席し、組織の決定に参与する者》は、《義務の意識》や《習慣》、さらには《実際的な利益》、《教養衝動》、《名誉心》、《好奇心》、および《単なる退屈しのぎ》などさまざまな理由からそうするのだが、J.S.ミルの考えるような理想的な「市民」は稀にしか見つからない。《集まりがいいのは、問題が賃金に関する場合》だけで、《組織成員の大多数が組織そのものに対して無関心》であり、《彼らは―最も古くから大衆の政治教育の進んだフランスにおいですら―行政技術的な問題に監督者として参与することを嫌がり、その任務を、議決のための集会に規則的に出席する人たちの小集団に喜んで任せる》。こうした権利の放棄が《定期的に総会に出席するずっと少数のメンバーが、そしてその上に党役職員のグループが、そして最上層に、右の役職員をしばしばその一部として含むところの数名の幹部メンバーが立つ》という政党の構造を自然に生み出す。また、彼の属していたドイツ社会は《服従への心理的性向、規律を重んじる本能的素質》を抱いており、《ドイツ人は、プロレタリアートに限らず、特別強烈な指導欲求をもっており、それゆえ心理学的にみて、強力な指導制を生みだす豊かな土壌》が形成されている。人は自身の生活が過酷であればあるほど、《彼らの素朴な理想主義において世俗的な神》を必要とし、《それらの神々にますます盲目的な愛を捧げる》。それは、エーリッヒ・フロムが分析したような社会心理的状態で、しばしば《無批判に近い権威信仰》と化す。こうした《指導を求める欲求》や《崇拝欲求》も寡頭制を支える強力な基盤となる。

寡頭制確立の加速要因(3):指導者の才能と堕落

だが、政党の指導者というものは誰にでもなれるわけではない。プロレタリアートがブルジョアジーに対抗するからには、それ相応の《弁説の才》や《知性》、《教養》を求められる。プロレタリアート政党の指導者は、たいてい《ブルジョアジーからの脱走者》が周囲に推されるまま務めることになる。ミヘルスによれば、このような知的優位は、《最初は純粋に形式的なもの》にすぎないが、やがてブルジョア的知識人(多数の弁護士、医者、大学教授)=職業的指導者層が政党に送り込まれるようになると、《支配者と被支配者との聞の教養上の差異のいちじるしい尖鋭化をもたらす》。むろん、職業的指導者の責任は重く、《尽力と労働、苦労と心配とが背負いこまされ、タフな精神を持っていない者にとっては早死が見舞う》ほどの働きを求められる。彼の所属していたドイツ社会民主党では、《1人の指導者が市議会、州議会、国会に同時に席を占め、あるいはこれら役職のうちの2つに加えて新聞や労働組合や協同組合を指導するといったことは、決して珍しい現象》ではなかった。

しかし、このような役職に就くこと、そしてそこで経験を積むことは、指導者に《名声と名誉、大衆に対する権力と影響力》を与えることになる。この点こそが、実は非常に重要な意味をもつ。例えば、村のみんなが靴を欲しているとして、その靴は靴職人がつくってくれる。靴職人は、どの材料を使い、それをどこから手に入れ、そしてどのような手順で加工していけばよいかを知っており、素人にはなかなかできない技術をもちあわせている。こうした状況下において、なんらかの理由で村のみんなと靴職人の間に諍いが起こり、靴職人に轟々たる非難が浴びせられたとする。そのとき、遂に耐えかねた靴職人はこう言い放つだろう。「それじゃあ、もうお前らにつくれる靴はない」と。村にほかの靴職人がいたり、隣村から靴を買うことができれば、村の人々はこのような言葉に動じることはないだろうが、もし頼れる靴職人がその人だけであれば、村の人々は自分たちの必需品が手に入らなくなる可能性を突きつけられたことに狼狽することだろう。政治的指導者にもこれと同じことが当てはまる。むしろ、政治問題に関する専門知識や党員の統制技術、弁論術といった、非常に特殊でほかに誰も身につける機会も術もないような能力が必要となるから、なおさら、その能力は希少なものとなる。ミヘルスは、ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世に対し、ビスマルクが《繰り返し辞表を手渡す》ことにより、《もはや事態処理能力のなくなった老皇帝を手なづけ》、《新たに建設されたドイツ帝国に沿ける自分の単独支配を確保した》例を引き、指導者の生存戦略の有効性を立証する。これは、事実上、民主的な政党の場合も同様で、本当は、《辞任の脅かしの真の目的が大衆の主人になるためのものであること》であろうともそれを認めず、むしろ《自分たちの行為が民主主義の精神そのものから発したものであり、辞任の申出は自分たちの細やかな心情、自分たちの儀礼感覚、大衆への自分たちの敬意を証明するものである》と説明し、党に対する《報復手段》を正当化する。《有能ということは、自らの含みもつ稀少価値によって価値増大をもたらすという点にその本質》があり、それゆえに、《有能は支配である》。指導者は、それまでに自らが背負ってきた労苦への対価と無自覚に育んできた権力欲によって、代表職に留まることを《道義的権利》と認識し、《大衆に指導者の意志を押しつける》ようになる。

報酬と利権の問題:寡頭制の完成

ミヘルスは、さらに党の財政と指導者への報酬という観点からも考察を行う。どんな選挙であっても、選挙戦を戦い抜くためには、巨額の資金を要する。また、議員として活動している間も、議員の生活の糧は必要となる。従来はこの点がネックとなり、《大政党組織》か《非常に富んだ人》以外の《小さな集団》や《資産のない候補者》は選挙から閉めだされてしまっていた。これに対し、ドイツ社会民主党は、(議員報酬が国家から支給されるようになる1906年まで)党の財布によって議会活動に必要な資金を援助することで、資産家の出身でない多くの指導者たちを政治の舞台に送り込んだ。しかし、この議員への財政的な援助は、民主性の維持にとって厄介な問題を引き起こす。

政治的な活動は、自らの「理想への情熱」にもとづいた行為であり、人に生きる活力を与えてくれる。しかし、往々にしてその活動の成果が出るのは幾分先になることが多く、人は長期戦を耐え忍ばなければならない。《選挙時や祝日で群集が雑踏するときに、全地域にビラ、パンフレット、選挙チラシ、社会主義カレンダーなどを「配布」する仕事》は、その人の《時間・労力・安楽を犠牲》にして、《あらゆる種類の罵声や恥辱》、《国家の最下級機関〔警察〕によるごくつまらぬ理由をもってする拘留》、《反ユダヤ主義的または唆された農民たちの投石》といったさまざまな危険に身を晒すことにつながる。このような苦行を乗り切っていくには、何か支えになるものが必要となる。最も分かりやすいのが金銭的な報酬であるが、組織がまだ貧しい選挙区や財政的な基盤が脆弱な集団では、しばしば《無報酬労働》によって、その任が賄われている。だが、その事実はひとつの問題にたどり着く。それは、組織からの離脱や敵陣の買収に応じるといった《極めていかがわしい誘惑に陥る》ことである。

これを防ぐため、ドイツの社会主義運動は、《党のためにした奉仕に対しては現金で報酬を支払う》という原則を打ち立てた。これにより、《党員の自発的な自由意志にもとづく奉仕を断念するもその反面、党員の労働能力を規律ある任務に服させ、党に内的凝集性と人的資源に資する権力とを与える》。報酬の有無や多少は、党員の活動だけではなく、指導者にも同様の影響を与える。つまり、報酬の悪い指導者は《その職業が十分かつ確実な収入源となっている報酬の良い指導者よりも、背信と買収の誘惑に陥りやすい》。そして(先にも述べたような)、早死に見舞われるような役割を進んで受け入れる候補者がいなくなる。だから、《改選によって頻繁に指導者の入れ替えをし、固定した指導者層の出現を阻止する》ことが非常に難しくなり、後継者の不在により、結局、同じ人が指導者の地位にとどまり続けることを許す結果となる。

では、報酬を良くすれば万事解決するのだろうか。この点、ミヘルスはそう考えない。なぜなら、《党財政力の増大は、党の官僚制のメンバーが党財産の管理者として経済的な権力手段をも自由にし得ること》を意味するからである。そのような権力は、《彼らの独裁欲を培養するのに大きく寄与》して、《それを自分の権力地位の強化と保全のために利用》することを可能にする。彼は、《権力を手に入れた者は、ほとんどつねにその権力を強化し確立し、自分の地位を絶えず新しい防壁でとりかとみ、大衆の支配と統制からまぬがれようとする》と述べ、やがて指導者は《自分は大衆の唯一の可能な選民なのだという確信》を抱くようになると言う。それは、彼にとって《愚かな自負心とうぬぼれた誇大妄想の混合物》にすぎないが、惰性で続いてきた支配も十分な時間を重ねれば、それはひとつの《伝統》のようなものになる。指導部は、それが党内におけるその時々の力関係の明白な表現であるがゆえに承認されるのではなくて、《単にそれが既に存立しているものである》がゆえに是認される。もはや論理を受け入れなくなった幹部は、《自分を党全体と同一視し、自分の利害を党の利益と完全に同一視する》。そこでは、《反対する党員の批判を客観的に評価することができないという、ほとんどすべての指導者に特徴的な驚くべき無能さ》を露呈するが、《理論上での反対者は個人的な憎しみから反対しているのだという悪評を大衆の世論のなかに盛り上げる》ことで、《自分の目的と方法に無条件的に同意しないすべての者を搾取し、欺き、略奪し、必要とあらば完全に破滅》させる「権利」を行使し始める。

あまりにも無力な寡頭制への抵抗策:「代表制」民主主義の限界

以上のような流れをたどり、寡頭制は完成する。これを予防するための対策としてサンディカリズムやアナーキズムといった方法が考えられる。これらは、巨大な組織の存在に注目した方法であり、サンディカリズムとは、「労働者の党」というひとつの政党としてではなく、各産業の労働組合が集まり、国家としての意思決定を行う、コーポラティズムのひとつである。それに対し、アナーキズムとは、社会を支配する政府を設けず、個々人の《倫理的原理》にもとづく連合によって秩序を保とうとする思想である。しかし、これらの方策についてミヘルスは、寡頭制を根本的に防止する策であるとは評価しない。なぜなら、これらはそれ自身が《代表の原理に立脚しているような方法》であり、《機械的でなく、自由意志的》であるとしても《組織の原理》も《規律の原理》も排除していないからである。サンディカリズムでは、各労働組合の代表者が政党支部の長に置き換わり、アナーキズムでは、大衆を率いる指導者自体は存在する。結局、政党内部で見た構図の名前が変わっているだけであるから、本質的な解決にはならないというわけである。

ミヘルスの失望:それを乗り越えて、何を見出すべきか

これまでに見たように、本書でのミヘルスの立場は、政治的な組織や統治自体に対し、悲観的である。メカニズムの分析に留まっていて、それでもなお、どうすべきかについては言及していない。彼は純粋に学者として、民主主義に対する《厳密な診断》を下すだけである。しかしそれは、「学者の世界」に閉じ込もっているがゆえに生まれた無責任さではなく、逆に実践の場に身を置いた人物であるがゆえのリアリズムであると言った方がいい。本書で分析されたような寡頭制が成立するまでの流れは、机上で考えだされたものではない。それは冒頭でも述べたように、ドイツ社会民主党で実際に起こったことをまとめたものである。若きミヘルスは、少数の者が支配する政治体制の打倒を期待し、ドイツ社会民主党の党員として活動してきたが、当初の理念とは異なり、結局同じことが繰り返される現実に彼は大きな失望を感じたという。本書は、その失望感にもとづいた「告発」であるともとらえることができる。

ミヘルスの理論は、多くの人々が集まって集団を統治する際の決定的な矛盾を明らかにした点で、ある意味で開けてはならないパンドラの箱のようなものなのかもしれない。その中で、なおも寡頭制へ立ち向かうとすればわれわれは何をすべきなのだろうか。本書の中で言及されたものには、任期の厳格化や頻繁な改選選挙の実施などがある。しかし、それだけでは「専門能力と経験」や「立候補者の不足」といった問題が立ちはだかることになる。その点は、前者はリーダーシップや専門知識を育てる場や役割を設ける、後者は的確な能力をもった者に、ある種の義務を課すということが考えられる。つまり、ひとりの人は決して任期以上の在職は認めず、自薦(それがなければ他薦)の次期候補者が前任者の在職期間中、トレーニングを積むということである。だがこれは、考えようによっては、誰もやりたがらない役割を交代制で行うということでもあり、求められた以上にはやる必要がないということでもある。利権の問題については、透明性や説明責任を求めることが考えられる。ある意味で、代表などというものは、積極的にやりたくなるようなものであるべきではないのかもしれない。マックス・ウェーバーは官僚制の非人格性を唱えたが、そこには「誰でも替えが利く」という側面がある。「誰でも替えが利く」ということは、当人にとっては戦略上非常に不利な問題で、非熟練労働者にとっては、不安的な境遇の根源でもある。だが、権力に携わる人間は、「代わりなどいくらでも」いなければならない。代表となる者、そしてその人物を人柱にして裏に隠れる者は、常に白日の下に曝され、監視を受けなければならない。その役割は、ある意味で「貧乏クジ」である必要があり、だからこそ、ひとりに負担を押しつけることなく、各人が分かち合わなければならない。人間の現実は、矛盾に満ちている。そんな中で、それでも秩序を保つためには、必要な「悪」の存在が不可欠だ。苛烈な権力競争は、やがて対外的な挑発外交に発展し、国際的な安全を脅かす。人々や党の代表となることは、決して得をすることであってはならない。それは、一刻も早く解放されたい、甘受せねばならぬ義務でなければならないのだ。

参考文献

  • ロベルト・ミヘルス著『現代民主主義における政党の社会学:集団活動の寡頭制的傾向についての研究』,森博、樋口晟子 訳,木鐸社, 1990.10.(原書:1910),全623ページ

自己紹介

自分の写真

yama

大学時代に読書の面白さに気づいて以来、読書や勉強を通じて、興味をもったことや新しいことを学ぶことが生きる原動力。そんな人間が、その時々に学んだことを備忘録兼人生の軌跡として記録しているブログです。

このブログを検索

QooQ