マーチン・トロウ(1999年)『高度情報社会の大学:マスからユニバーサルへ』

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社会教育学

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紹介文

本書の著者マーチン・トロウは前書『高学歴社会の大学―エリートからマスへ』において、大学には「エリート型」と「マス型」という2種類の類型があると提唱した。しかし、生産した分だけ物が売れるような大量消費の時代が終焉し、脱工業化社会に突入したことで「ユニヴァーサル型」という新しい類型が登場してきたと彼は言う。三者はその前の段階の延長線上に位置するものではなく、三様の異なった性質を備えるものであり、それゆえにとりわけ「マス型」と「ユニヴァーサル型」は試行錯誤の中で適応していなければらならない。現在の大学は「マス型」への適応が十分でないにもかかわらず、IT技術の発達によって加速された「ユニヴァーサル型」への対応に追われている。めまぐるしく世界が変化していく中で、大学は何を変革すべきで、そして何を失ってはならないのか。本書は、現代の高等教育の現状を把握し、その問題点を考えるうえで非常に示唆に富む1冊である。

本書の概要

「大学」という存在は、研究者たちが集まる研究機関という性格だけではなく、研究の成果や思想を教授することによって、知識や技術の習得や人格形成といったさまざまな意味での「教育」を行う機関という側面ももっている。本書は、そのような「大学」のもつ側面のうち、大学での「教育」について論じた書物である。本書の著者マーチン・トロウによれば、大学教育というものは、いつの時代にも質的に等しいわけではなく、「エリート型」、「マス型」、「ユニヴァーサル型」の3つの類型が存在するという。しかし、「マス型」が登場してきたのはおよそ19世紀から20世紀にかけて、そして「ユニヴァーサル型」はまさにこれから確立していくべきパターンという意味で、これら2つの型が認識されるようになったのはごく最近のことにすぎない。現在の大学は、エリート型→マス型への移行(適応)が完全に終わっているわけではないにもかかわらず、マス型→ユニヴァーサル型への移行(適応)にも対応していかなければならない点に課題を抱えていると彼は言う。本書は大学が直面するそれらの課題について分析し、これからの大学のあるべき姿を模索しようとする試みである。

「大学」の発達段階

本書の著者、マーチン・トロウは、彼の分類した大学教育の最初のモデルを「エリート型」と呼ぶ。「エリート型」とは、文字通り、国家や社会の中枢を担うべきエリートを育成することを目的とした形態のことだが、トロウは《高等教育機関とはそもそも、時間をかけて環境を組み替えながら、いずれ多様化に向かうものなのだ》と述べ、その次の段階である「マス型」へと必ず移行するものととらえている。したがって、問題となるのは、その移行のスピードが早いか遅いかの違いということになる。実際、このスピードにはアメリカとヨーロッパの国々とで異なり、彼の分析によれば、アメリカは《早期にマス型高等教育の時代が到来》し、ヨーロッパの国々ではなかなかその時代に突入しなかった。それは、彼の考えを整理すれば、教育の「水準」や「質」に対するこだわりの差に起因している。そしてこのこだわりの差は、ヨーロッパ諸国とアメリカでの「大学」という機関の位置づけと階級や平等に対する意識の違いとから生まれていると言うことができる。

ヨーロッパ社会における「エリート型」大学の位置づけ

本文中に「大学」という存在の詳細な歴史については述べられていないが、古代ギリシャのアカデメイアを萌芽(のようなもの)として、中世以来ずっと大学は聖職者や貴族といった特権階級出身の、《国家にとって有用な人材》を育成するための機関として国家や社会の中に位置づけられていた。

20世紀に入り、伝統的な特権階級の出身でなくとも高等教育を受ける可能性が拓けてきた時代になっても、「中枢を担うべき人材の供給源」、そして「文化の創造者たちが集う場」としての大学観はあまり変わらなかった。大学を卒業した人々は、《公務員》や《行政官》や《高校・大学の教員》として政府機関に就職することが多く、特に、1950年代から70年代にかけて西ヨーロッパで社会福祉が急激に成長したことから、大卒者に占めるそれらの職業の割合は高くなっていった。このようにヨーロッパでは、《大卒者にとって最大の雇い主が国家》であるゆえに、国家は大学制度全般にわたって《高い質を維持すること》に特別な関心を払うようになる。ヨーロッパ諸国では、たしかに事実として(イギリスにおいて)《ポリテクニク》と呼ばれる機関が、《新大学》として「高等教育機関」に昇格したように、量的な拡大は行われてきたし、《中央機関からの財政支出を受けることになった》。しかし、そこには「質の維持」という前提が存在しており、トロウによればそれは、「緩和」ではなく、「規制」としての側面が強く、《拡大するシステムを前にして均質化を図ろうとするもの》にほかならない。そもそも《ポリテクニク》という機関は、大学とは違う独自の教授法とサービスを確立して、《同時に職業に直結する学習の機会を求める成人パートタイム学生が勉強する場所》としての独自の風土を醸成している場所だった。しかし、彼らは「大学」としての認定を受け、資金的な支援を受けることになったために、《学内に研究への志向性があるかどうか、また研究のための資源があるか否かにかかわらず、十把ひとからげに研究能力を強化すること》を強く求められ、「大学」としてふさわしいレベルとなるように圧力をかけられることになった。このように、ヨーロッパでは、学問レベルの共通基準を高く維持することは《国家の役割》であり、同時に《大学自身の責任》でもあるとの考え方が根強く現存している。

「エリート型」大学と階級・平等

このこだわりの差を支える軸は、もうひとつある。それが先に述べた階級や平等に対する意識である。イギリスでは現在でも「階級社会」の傾向が色濃く、フランス人は鋭敏な美意識をもっていると言われているが、ヨーロッパ人は《劣った大衆が高度に文化的なことがらに影響を与えることを防ぎ、エリートが支配する文化の王国を守るために多大な努力を払ってきた》。彼らにとって、思想や芸術といった分野は低きに流れる大衆に迎合してはならず、自らの矜持の源となる「文化」は高尚でなければならず、《音楽家や高等な哲学や物理学の研究者のような最も有能な文化の体現者とされる人々》が、《消費者》にそのあり方を左右されることを嫌ってきた。そのため、ここでの「教育」とは単なる知識や技術の伝授だけではなく、それらを応用したり、批判的に継承することによって、文化を創っていくことを狙いとしている。だから、教職員は研究者や思想家として優れていなければならず、研究・創作活動で成果を上げることを求められる。

また、先述のように大学が国家や社会の中枢を育成する機関であり、《機関が要する資源はほぼ全額が政府》によって支出され、大卒者は公務員などの職業に就くものとされていた状況にあっては、当然のことながら、大学は未来を担う人材のための場所であり、《創設者に対する対立や批判的な言論を醸成しうる場とは考えていなかった》。この想定は、大卒者に対して十分な雇用の口があり、上流階級となることをほぼ約束された人々が実際にそうなれていた時代には問題なく回っていた。しかし、大学卒の資格を得る人が増えるいっぽう、《商業と工業に今ほどの就職口がなかった》時代に突入すると、政府は就職希望者を受け入れきることができずに、《大卒失業者が現れることになった》。この《大卒失業者》、そしてそういった人々の集団である《失業知識人層》はヨーロッパ各国の政府にとって、《抜きがたい恐怖》を与える存在と認識された。なぜなら、《失業知識人が右派、左派を問わず政治的な過激論者や反政府運動家となり得ることを、ヨーロッパの政府は経験上知っている》からである。こうした要因から、とくに《19世紀のヨーロッパ諸国の多く》において《高等教育の成長と発展》が成し遂げられた時代にあっても、「エリート型」大学という存在形態は(保守的・差別的に)守られてきたのである。

しかし現在、特に第2次世界大戦後にはそのような抵抗も弱まり、ヨーロッパ社会には《強い平等思想》が広まった。だが、それはヨーロッパ社会が質へのこだわりを緩めることを意味するわけではない。ここでいう平等とは、本文中には単に《平等思想》と書かれているだけだが、脚注には《階級格差》という言葉があるため、おそらく、これは、「努力によって、自らの人生を切り開けるチャンスを与えられるべし」という機会の平等のことを指しているのではないかと思われる。だが、この《平等思想》は少なくとも形式的には完璧主義である。社会主義国にせよ、資本主義国にせよ、人は社会の中で働かなければならず、しかもその際には、きちんと仕事をこなせるように、その職務に求められる技術や知識を身に着けていなければならない。やはり大学とは、《さまざまな専門職や職業の免許》を授ける存在であり、大学に入学し、そして卒業するからには、(「穀潰し」との謗りを受けず、正当に職業を得るために)その能力が身につくことを保証する必要がある。だから、教育の質の水準を下げてまで《下層中流階級や下流階級出身の学生のために2級の教育の機会を開く》ということは、口先だけの「機会の平等」の保障であり、《なにか口にするのをはばかられることのように感じられる》。社会として「機会の平等」を保障するためには個人の自己負担に頼るのではなく、政府が大学教育に財政支援をする必要があるが、乱立するであろう「大学」すべてに《財政支援ができる国はない》。だから、ヨーロッパ社会の《強い平等思想》は《2級と思われる機関や、出身社会階層の低い学生であふれ返ることが明らかな下級の機関からなる新たなセクターの成長を殺ぐには十分な影響力をもっていた》。

無責任に大卒者の数を増やさないために、政府は《マンパワー計画》という計画に沿って大学を統制しようとした。《マンパワー計画》とは、《学歴ごとの就職口の数に応じて、大学の側が輩出する卒業生の数を調整する》という政策である。だが、このような計画は大学が《経済と職業構造の急激な変化を予測できなかった》ために、《ほとんどが失敗に終わった》。しかし、この計画は《政策の中に残りつづけた》。なぜなら、《この計画がうまくいかないという事実をもって、拡大し多様化する高等教育がもはや政府の手に負えない》ことを正当化する、つまり、「大卒失業者を無秩序に増やさないためには、やはり大学は政府の管理下に置く必要がある」との言説を公式見解としたからである。このように、理由はどうあれ、ヨーロッパの大学は《学位の質ないしは水準に関心が強く、その水準をいかにして評価し、証明が可能かという点》にこだわり、それゆえに、《質の測定、評価、質の保証》に対する関心が強い。

「エリート型」大学の特徴

以上に描写してきた大学のあり方は、ヨーロッパでの伝統的な大学形態であるが、トロウはこのような特徴をもつ類型を「エリート型」と分類しているわけである。その特徴を整理すると表1のようになる。つまり、大学の根本的な存在理由が「エリートの育成」であるがゆえに、政府が費用の多くを支え、研究や思索において最先端を走る各界のトップクラスの人材が教授を務め、高等教育の名にふさわしいレベルと内容が教えられる。高等教育適齢人口のうち、多くても15〔%〕までの学生たちは、約束された将来に備えるため、最高峰の知の潮流についていくために、自ら学ぶ。これが、典型的な「エリート型」大学の特徴である。

表1 ヨーロッパ諸国における大学観(典型的な「エリート型」大学)
存在理由 文化や行政の担い手となる(社会の)中枢の育成と文化の創造
質や水準へのこだわり 教育機関としても、研究機関としても「ゴールド・スタンダード」を求められる
教職員の属性や資質 研究者、思想家、芸術家としてトップクラスの人材
学生の属性や資質 上流・特権階級出身者で、将来の目標や学ぶ理由が明確に存在する
財源 多くを国家に支援され、独自の財源を開拓することはあまりない
学生数 高等教育適齢人口に対して、実際の入学者の比率が15〔%〕以下
学生の特徴 文化や政治の創造者となるべく、学生は自ら学ぶ
教育内容の多様性 「高等教育」の名にふさわしい内容でなければならない

「マス型」大学発展の歴史:アメリカの場合

いままで述べてきたヨーロッパの事情とは異なり、アメリカの大学は独自の発展を遂げてきた。アメリカにおける大学の歴史は、ヨーロッパほどではないが、当時イギリスの植民地であった17~18世紀にまでさかのぼる。トロウによれば、その当時の大学は《アメリカが未開状態に逆行すること》や《周囲の原野とネイティブアメリカンの脅威》といった《厳しい環境の中で人々が生き残っていくために重要な力の源泉》であると信じられていた。この記述自体から考えれば、たしかに「エリートの育成」ということも重要ではあるが、それと同時に「社会の啓蒙」や「国民の知的水準の向上」を急いで進めていきたかったという思いを汲み取ることもできる。そして、この点はヨーロッパの大学とは異なる点であるが、アメリカの大学はこの時代には《設立と学位授与権の認可は公共団体によって行われた》という事実はあるが、財源については公的財源だけではなく、《私的な寄付金、および学生から徴収した授業料》によって賄われていた。つまり、アメリカの大学については、《資金と機能および権威を公的なものと私的なものにまたがってもつ》という点がヨーロッパとは異なる独自の特徴と考えることができる。このような特徴は、現在においても変わらず、公立・私立を問わず、大学は《公的な側面》と《私的な側面》のどちらをもっていてもかまわないと考えられている。だから、アメリカでは《私立大学でも公的な財政支援(高等教育への贈与や寄付に対する税制上の優遇、公的に支給される奨学金など)》を受けているし、《公立大学では学生の授業料や寄付、経済産業界からの基金といったような私的な財源を確保している》。

1776年以前には、アメリカには8校の大学があり、《植民地政府とカレッジの間には宗主国と同様に緊密な関係が保たれていた》。しかし、独立宣言を堺にこの関係は、《劇的に変化》することになる。アメリカという国家は、独立後、植民地政府が州政府に変わり、州政府が連盟を組んで連邦政府を設置したことで誕生したわけだが、この独立によって《国家が国民の統治権に根ざすことや、政府は「国民」に従属すること、あるいは個人の卓越と結社の自由と発議権を強調するあまり、政府の諸機関が弱体化する結果になった》。つまり、《トップダウンの社会を創ろうと企てた18世紀とは違って、独立戦争以降のアメリカ社会は共同体の命令に依拠するのではなく、南北に長い入植地において生活と事業を行う上での多種多様な必要事に依拠するようになった》のである。「多種多様な個人が自身の興味、関心、必要事にもとづいて道を切り開いていく」というアメリカ的なフロンティアの精神が大学のあり方に影響し、政府による厳しい規制を受けることなく、大学を設けたいと思った人々は、自由に大学を創立することができた。1776年以前には、アメリカには8校の大学しかなかったが、1860年代後半には、250校の大学が存在した。もちろんその中には、《小規模で資金も不足しており、設立後数年のうちに廃校されるものもあった》が、南北戦争から今日までの同じ期間に700校の大学が創られては消えていったとされている(といっても、《大学の設置を一元的に掌握する中央機関がなかった》ため、《実際に消滅した大学の数に関してはいまだに活発な議論が交わされている》)。そして、現在、《アメリカにはざっと見積もって3700の大学があって、学位につながる単位を授与している》。その多様性たるや《巨大なもの》で《維持すべき学問レベルの基準はない》。学生のレベルについても《西洋文明の粋を集めた「グレート・ブックス」しか》読まない学生もいれば、《「グレート・ブックス」など一冊も読めない》学生もいる。つまり、《学問レベルの基準といっても大学ごとに大いに差が生じている》のである。

大学に関する放任主義と市場主義:アメリカにおける高等教育の質

こうした歴史的背景から、アメリカの大学は非常に多様であり、文字通り「ピンからキリまで」さまざまな大学がある。連邦政府には《大学の新設を制限したり、一定の学問レベルの基準を満たすように求める権利》はない。たしかに連邦政府は、《高等教育に対する支援の後ろ盾》となっており、《高等教育全体にかかる費用のおよそ4分の1を賄っている》が、それは《学生に対する奨学金の貸与や給付》や《研究を行う学者や研究者に対して直接資金援助を行う》というかたちをとっている。この点、《学位授与権を認めた機関に対して財政面で責任を負わなければならないということがない》ため、政府には《高等教育の拡大を制限する動機》がない。歴史的にも、私立大学はもちろんのこと、州が設置した公立大学も、《創立以後長い期間にわたって国家からの財政支援は受けないという場合》の方が多く、《公立大学が国家から支援されるようになってからも、大学の総収入に占めるその割合は依然小さく、大部分は学生からの授業料をふくむ他の財源に依存してきた》。大学の運営方針の決定や経営、入学志願者を獲得するための方策などは、ほとんど大学の自主性に任されており、ある意味で大学経営にも典型的アメリカ的市場主義の精神が体現されている。高等教育システムの質を左右するのは、ひとえに《市場における競争》であり、やる気と野心に溢れる大学は、学生や彼・彼女の親や、将来の雇用主からの人気を高めようと学問レベルの基準を高く設定する。トロウの見立てによれば、《全体的に見れば、アメリカでも、多くの優秀な学生を入学させるために(また有能なスタッフを採用するために)、質を低下させるよりもむしろ向上させることを目指している大学のほうが多い》。アメリカの学者のほとんどは、仮にいまは研究志向の大学に属していなくても、《個人としては研究大学からD.PHを主とした研究学位を授与されている》ため、学問上の規範と価値観をきちんと身につけ、学術活動の基準の維持に寄与している。またアメリカでは、複数の大学が連帯して、主体的に《機関基準認定(アクレディテーション)》を行う外部機関が存在し、その機関に対して説明責任(アカウンタビリティ)を果たさねければならない。このことも、質の維持に貢献している。

アメリカの人々にとっての大学

アメリカには、ハーバード大学、プリンストン大学、マサチューセッツ工科大学、スタンフォード大学をはじめとする、世界的に有名な2、30のエリート大学があり、そうした大学は《有能なスタッフと優秀な学生、立派な研究施設や図書館》に恵まれていて、地元でしか名前を知られていない中間層の大学に比べれば《何百倍も高い学問の質が維持されている》。そして、比較の対照となった平均的な大学には有名な教員もおらず、学生も、エリート大学に栄光をもたらしている学生ほどには優秀とはいえない。だが、そんな学生たちは、そのことに特段、劣等感を感じてはいない。なぜなら、ヨーロッパ人と違って《失業知識人を恐れない》からである。アメリカ社会は、《「知識人」という階層があって、共通の関心と感性、忠誠をもっているというような考えそのもの》と無縁で、《高等教育を受けたということが社会的地位の低い職業に就くことの妨げにならない》。実際、アメリカでは《いわゆるブルーカラーの労働者のほぼ10〔%〕が大卒者であり、大学以外の高等教育までふくめると25〔%〕以上が何らかの高等教育を受けている》。学卒者を採用する企業は、高度な専門性や学術性が求められる職種やポジションでない限り、学生の取得した学位をあまり気にしない。彼らにとって、大卒の学位、ないし大学での数年間の経験とは、《責任感があり、勤勉で、社員ともうまくやっていける能力があり、必要なことは学べる能力》を示す指標であり、過大な期待はされない。学生たちも現実論として、《ある程度の中流階級の職業に就きたいのなら、ある程度の大学の学位を得ることに意味があるということが必要条件であるということを(正しく)認識》しており、自分の人生設計に応じて普通の大卒の学位に留まる人もいれば、その名前こそが人材の質を保証してくれる大学、学科、あるいは学問的威信の高い指導教授のいる大学院で、もっと上位の学術学位や職業学位を取得しようとする人もいる。すべては個人の自由な選択に任されているので、《ひとつの大学の中で学科ごとに質や難易度や授業のレベルが異なっていても気にならないし、いきおいひとつの学科における部門ごとにそのような差異があっても別に変だとは思わない》。たしかに、ひとときは《大学入学者が増えるほど大卒者の給料は低下し、大卒者と高卒者の給与格差は縮小するだろう》と言われたときもあったが、実際には80年代から《大卒者の給与は80〔%〕上昇して、高卒者との差は広がる一方であった》。それでいて、《大卒失業者率もきわめて低く、不況にもかかわらず3〔%〕を上回ることはなかった》ため、経済的な有利さを求めて高等教育を受ける人が増加した。具体的には、高等教育適齢人口に対して、《50〔%〕に近づきこれを越えつつある》(日本も50〔%〕以上となっており、その他の先進諸国においては25〔%〕以上である)。

ヨーロッパにおける「エリート型」から「マス型」への移行(適応)

ヨーロッパでは、現在でも《消費者の要求に抗しうるだけの力をもったエリート大学》は存在する。これらの大学がその伝統を守ることができるのは、《まずもって卒業生や校友から相当額にのぼる私的な贈与や毎年決まった額の寄付を受けているからであり、またこれらの大学は威信が高いために普通の大学よりも入学希望者が多いからでもある》。しかし、先にも述べたようにヨーロッパは、ただひとつの「大学」の型を守ってきたわけではなく、「大学」と呼ばれる機関は数種類存在する。それが、フランスにおける《グランゼコール》(Grandes Écoles)や《短期技術大学部(IUT)》、イギリスの《ポリテクニク》(Polytechnic)、ドイツにおける《ホッホシューレ》(Volkshochschule)、その他の諸国に見られる地元密着型のカレッジや職業志向で短期の機関などである。このような「多様化」によって、ヨーロッパの大学は、《多様な出身階層、性別、関心、能力をもつ学生を受け入れ、同様に学術スタッフを雇用する際にもかつてのようにいわゆる特権階級からのみ採用するのではなく、多様な階層に人材を求めるようになってきている》。だが、この多様化は同時に、大学での教育の構造や方法にも変化をもたらすことになった。トロウいわく、《マス高等教育においては教授も助教授も講師も、もはや学生は自ら学ぶものだと思っていてはいけない。学生は教えられないかぎり学び得ない》という新しい認識が必要とのことである。なぜなら、《たとえ新たなタイプの学生が、能力の面では従来のタイプの学生に比して遜色なかったとしても、大学で学ぶ上での関心と動機は異なっている》からで、従来のエリート型大学の学生のように、学問に対する意欲や探究心をもちあわせているとは限らないからである。それゆえ、《カリキュラムと教授法にも抜本的な変革》が求められており、「質の維持」へのこだわりが消えているわけではない世論や政府は、高等教育機関に対する《説明責任を求めるプレッシャーが非常に大きい》。全体的に見れば、《ヨーロッパの高等教育はアメリカ化される傾向にある》と言うことができるが、ヨーロッパの国々ではこうした懸念があるため、《カリキュラムのモジュラー化》や《クレジット・トランスファー(単位互換)の制度》を導入し、《精緻かつフォーマルな質の評価》を実施している。

アメリカ的高等教育の課題:「低学力学生」と公立学校の教師・カリキュラム

アメリカでは、すべての適齢期の人に高等教育の門戸が開かれている。だが、そこにはそれ相応の問題がある。それが「低学力学生」の存在である。イギリスの大学のように、2つ以上の専門科目で上級の試験に合格しなければ入学できないような大学ではそのような問題は起こらない。しかし、《学生の学力がいかなる水準にあろうと、その段階から学生を教育していくこと》に誇りをもっているコミュニティ・カレッジに入学してくる学生をはじめとして、《大学段階の学習への「準備」》が整っていないまま高等教育の期間に突入してしまう学生は増えている。そのレベルは、カリフォルニア大学で新入生を教える教授陣をして、《進学準備用の授業科目を既に取ってきている場合ですら、10年前よりも概して大学の学習準備があまりできていない》と評さざるを得ない状況で、かつての学生と比べて《「抽象的思考力」が低下し、「学問分野の垣根を越えて、1つの目的から別の目的に技能を転移できない」》。トロウによれば、このような問題は門戸開放の高等教育改革を行ったスウェーデンなどでも見られることだが、基本的に《教育機会の拡大と学力水準の両方》に責務を負う《アメリカ特有の問題》であるという。

彼は、このような「低学力学生」が生まれる一因をハイスクールのカリキュラムと教師の質に見ている。アメリカのハイスクールでは、以前よりも必修科目が減少し、生徒もカウンセラーも、大学での学習の基礎となるような科目に時間を割かない時間割に対して寛容になっている。標準的な学習内容は、《成績の悪い者により基礎的な授業科目を提供》できるようにと上級レベルの選択科目は排除されつつあり、《教科書はより低い読解水準》に書き直されている。そして、《多くの授業では宿題が少量しか課されず、学生が技能の領域で習得する練習量も減少している》。

さらに、彼は教育学を専攻する学生の現状についても分析する。彼は、教育学を専攻する学生の間で、教育の現場に留まる=教師になることに対する《消極的傾向》が見られると言う。それは、(公立学校の)教師という役割が《専門職というよりも被雇用者》という扱いであり、《相対的に賃金も威信も低い》職業となってしまっているからである。だから、《学力が他者よりも高く、有能な者は教職から離職する傾向があり、初等学校や中等学校の現場教員として残った者は元の集団の中でもあまり有能ではない者》となってしまう。たしかに、「教師」として求められる資質は、学力や教授能力だけではなく《青少年への深い関心、彼らを扱う手腕のほうがより重要であると論ずることはできる》。しかし、《大学での成功が中等学校で獲得する知識と知的習慣に大きく依存する大学進学予定の青少年を教える者》は、やはり教える側として、学力や教授能力がなければ務まらない。くわえて、彼らが加入する組合の規則では、《両親との夜間会合など、子どもの教育に親がかかわるという意味で創造的な校長が重要だと見なす課外活動》が禁じられており、にもかかわらず、《個々の教員の労働負担は増大し、個々の学生に向けられる注意量も制約》されてしまっている。むろん、教師にすべての責任を帰すことなどできず、トロウは、各家庭での教育方針や生徒たちの学習に対する態度といった「ミクロ」な要因については分析していない。しかし、社会の中で「教師」たちが置かれている状況という「マクロ」な要因を見ただけでも、無理からぬ理由で、「中間(あるいは底辺)層が中間(あるいは底辺)層を再生産する」状況に陥っていることが分かる。

「低学力学生」への対応:自助努力と補習

こうした状況に対し、たしかに単位認定や試験の水準を下げるということも考えられるが、そこにはやはり限度がある。この点、大学側の対応としては2通りが考えられる。つまり、心を鬼にして「水準に達しない者を跳ね返す」か「補習を施す」かのどちらかである。前者の場合、第1学年は「大学レベルの学習に追いつけない者」にとっては、《悪名高き「新入生の虐殺」の1年》であり、結果として《(ヨーロッパの大学と比較して)相対的に高い中退率》を記録することになる。いっぽう、「カレッジにとどまる意欲のある者」にとっては、《ハイスクールから持ち込んだ学力不足を補う1年》となる。しかし、誰しもいきなり大学の世界に入るわけではなく、それ以前には初等・中等教育を受けていているわけだから、問題の解決は大学だけではなく、それらの機関との連携によってはじめて達成される。実際に、オハイオ州の公立ハイスクールは、1981年4月に諮問委員会の勧告にもとづいて、《入学者に対する大学側の期待を明らかにし、それに従えば、カレッジレベルの補習教育履修の必要性を減らせるような大学進学準備カリキュラムを開発する課題》を担わされることになった。

しかし、トロウはこの『期待の声明文』は、《期待の中身を知りさえすれば適切に生徒に準備をさせられる人員が十分にそろった中等学校制度があることが前提となっている》と指摘し、《現在のように人員が配置され、組織化されている学校の能力を促進するものが何であるかは、まったく明らかにされていない》と評する。ある意味で、大学が問題の解決を中等教育側に「投げっぱなし」になっている状況にあっては《必ずしもすべての教員や校長が大学進学準備教育を強化したいと望むわけではなく、多くはたとえ望んでもそれを実行することは不可能》となっていて、適度に選抜度の高いカリフォルニア大学であっても、《入学者のほとんどすべてがハイスクールで3年間数学を履修するという新たに厳格化した入学要件を既に満たすものの、増大する多くの新入生が、大学における数学の補習の必要性を試験で示している》状況に陥っている。なので、1980~81年には《全国の大学で行われた補習教育の授業数は22〔%〕増大し、私立大学では25〔%〕、公立大学では19〔%〕増加》することになってしまった。

この「補習」の問題は、やることが分かりきっているがゆえに、ただ粛々と補習授業を実行すればいいようにも思うが、現実的には2つの課題が存在する。つまり、《誰がその授業科目を教えるのか》、そして《誰がそれに対して経費を支払うのか》という問題である。「補習」はあくまで「補習」であって、単位が認められるものではない。それは、自らの研究活動を削って授業を行わなければならない大学の教師陣にとっても負担だし、補習を単位認定しないことによって《学生の学位取得の進度が遅れる》ことは確実であるにもかかわらず、学生に補習の費用負担させることも難しい。この問題に対し、トロウは従来は曖昧であった高等‐初等・中等教育間の連携を深めるべきであると論じている。例えば、《学校とカレッジの1、2学期間の教員の交換》や《ハイスクールの教員がその教科の夏休みのワークショップのために大学に戻る》といった方策がある。だが、その際には《教育学部単独、もしくは教育学部を主として、という形にはすべきではない》と彼は言う。低学力学生の問題は教育学部だけの問題ではなく、《大学全体の問題》なのである。

「マス型」大学の特徴

以上に描写してきた大学のあり方は、アメリカに典型的に見られるタイプで、トロウはこれを「マス型」大学と呼ぶ。その特徴を整理すると表2のようになる。つまり、各々の運営方針や教育水準、財源は、それぞれの大学に任されており、「政府」ではなく「市場」からの期待や圧力が教育の質の維持を保証している。あらゆる出身階層、性別、関心、能力をもった「学生」の中には「エリート」もいれば「低学力学生」もいる。とりわけ、従来のエリート的な意欲と動機をもたずに入学した者は、自ら学ぶインセンティブが低く、《教えられないかぎり学び得ない》人も多い。ここに、《研究の内容は最重要事項ではなく、学生と彼らを教え導くことが最も重要になるというコペルニクス的転回》が招来されることになる。大学間、科目間でレベルのバラツキが大きく、もはや高等教育にゴールド・スタンダードを期待することはできない。《学位はしだいにどの大学で取られたかというその大学や学部の名前(およびその評判)で評価される》ようになり、有名な「エリート大学のものでないかぎり、学位とは単に、《その学生がある種の文化的な洗練を経ていること、何ごとかを学ぶ方法を身につけていておそらく今後もさらに学ぶ能力を持っているということ、単位を得て学位を取るくらいには自らを律せるということを一般に示す書式であるにすぎない》。さらに、《科目のモジュラー化の促進、クレジット・トランスファー(単位互換)の発生、大学と大学以外の機関に共通した成人学生、パートタイム学生、有職学生の増加》なども特徴として考えることができる。トロウによれば、カレッジへ進学する者が適齢人口の4〔%〕にすぎなかった1900年当時までに、《現代アメリカ高等教育のほとんどすべての中核的な構造と特徴が備わっていた》という。つまり、《つまりアメリカはマス型の多数の学生を擁するようになる以前から、すでにマス型高等教育システムに適合した組織的、構造的枠組み》がほぼ完成し、あとは、《量的拡大》を待つのみであったということである。

表2 アメリカにおける大学観(典型的な「マス型」大学)
存在理由 その個人の社会性や人間性、学ぶ能力を保証する
質や水準へのこだわり 大学、学科、部門ごとに質や難易度の差があってもかまわない
教職員の属性や資質 特権階級出身者は少数で、出身階層は多様
学生の属性や資質 多種多様な属性(出身階層、性別、関心、能力など)をもった人々
財源 機関に対する助成の財源が多様化し、国家起源の財源が占める割合は小さい
学生数 高等教育適齢人口に対して、実際の入学者の比率が15〔%〕以上
学生の特徴 学生は教えられないかぎり学び得ない
教育内容の多様性 創立理念や運営方針、消費者のニーズによりさまざま

「ユニヴァーサル型」大学:「マス型」のその先へ

以上に述べてきたように、大学という機関には、社会の要請に応えるかたちで「エリート型」、「マス型」という類型が生まれてきた。しかし、脱工業化社会と呼ばれる時代に突入したことで、さらに新しい大学の類型が生み出されている。彼はこの類型を「ユニヴァーサル型」と呼ぶ。トロウの理解によれば、脱工業化時代とは《急速な技術革新と国際競争の激化》の時代であり、そこにおいては、《職場における技術革新にともなって、また事業の成功が働き手の熟練度によって左右される》ため、《中等教育修了後さらに高度な教育を受けた労働力の需要が高まり、中等学校卒業者の就業機会は職種においても減少する》。それは、《知識や技術の創造、広範な伝達に最大の重要性を置く時代、すべての国の政策決定者が市民への高等教育機会の拡張が不可欠と考える(少なくともそう信ずる)ような、きわめて急激な社会的、技術的変革を特徴とする時代》であり、そのため人々は絶えず学習し、能力や発想を研鑽することを求められる。「マス型」の大学が「市場」を重視する性格であれば、後は自然とその要望に見合った制度が組み立てられていったことだろう。しかし、現在という時間軸の中には、その変化のスピードを加速させる要因が生まれていた。それが「IT」である。この「IT」という道具は、従来の高等教育とはさらに異なる教育の姿を生み出す力をもっていると彼は考える。

「IT」とは、“Information Technology”の頭文字を取った言葉であるが、それは基本的にインターネット回線を通じて、文字、音声、そして映像による情報にアクセスできる技術を意味する。伝統的に教室で行われる「講義」は、「その時間のその場所」にいなければ情報にアクセスすることはできない。ラジオの教養番組の視聴は、「場所の制約」をある程度まで(ラジオがある場所)解放したが、基本的には番組表が定める「時間」を逃せば視聴できず、保存するためには録画の操作を行わなければならない。テレビ番組は音声のみでは伝えきれない視覚的な情報を届けることはできるが、基本的にラジオと同様の制約がある。こうしたメディアは、高等教育への《ユニヴァーサル・アクセス(万人のための教育機会の提供)》を可能にしたわけだが、《遠隔教育のもつ潜在力》を十分に解放する力はもっていない。だが、インターネットをつうじて、データベースやライブラリにアクセスできるようになれば、「時間」、そして「場所」の制約が飛躍的に取り払われる。物質としての端末機器とその操作方法さえ習得できれば、公開されているいかなる情報にもアクセスできるようになる。もはや「知」が伝授される場は、空間としての「大学(キャンパス)(=講義室)」に限定されず、家庭であろうと職場であろうと、すべての人は《生涯を通じて、自己の選択に応じて、都合のよい場所や時間に教育の機会をもつ可能性》を享受することができる。

「研究志向型大学」の危機①:ITの限界(=技能・知識の伝達)と「人格の陶冶」

そして、このことは必然的に、「学習するためには、必ずしも知を教授する人との体面的なコミュニケーションを必要としなくなった」ということを意味する。とりわけ、《学生と教員間に絶え間のない、密接で個人的なつながり》を基本としている「エリート型」大学は、長年、《学生に社会や組織のリーダーとしての資質が備わるように、彼らを社会化し、精神や価値をかたちづくること》を自らの役割としてきた。そこでは自然と《英知や人生の生き甲斐を培うような、人間的な学者や教師》との出会いが存在し、それをつうじて《精神・感受性の発達》を達成することができた。しかし、時間と空間の共有、双方向的なやり取りを必要としない、「データファイル」へのアクセスは、純粋に《技能・知識の伝達》という機能を果たすに留まる。そうした新しい形式の遠隔学習を使えば、《基礎レベルの言語教育、入門レベルの数学課程、あるいはさまざまな職業関連の教科》を効率良く伝達することはできるが、《学生が詩や理念を理解したり、歴史事項の重要性や議論上の論理を認識したり、また倫理上のジレンマを探求したり、さらには合理的・道徳的な判断を行うこと》、あるいは《言葉で表現しきれず、理屈では説明できないため、師匠に弟子入りして直に見聞きするとか、先達と親交を深めることによって修得するほかない、「暗黙知」》を会得することはできない。

くわえて、とりわけ空間的な制約がなくなったことによって、人々は《オンラインで受講できるような課程をわざわざ大学に通って受ける》ことが億劫になってきている。このアクセス範囲の拡大は、《机の前にいながら、世界中の莫大な情報にアクセスできるという学者の夢》を実現することでもあったが、同時に《かつては学術資料の宝庫としての図書館の周りに集っていた学者と彼らの共同体の中心である大学とのかかわりを弱める》という代償をももたらす結果となった。《バーチャル大学》とは、《学術上、物質上の進歩に中心的な役割を果たしてきた研究大学の代用》ではなく、機能が質的に異なる存在なのである。

「研究志向型大学」の危機②:産学連携と「知」の解放

専門的な知識や情報、先進的な研究の成果が自身の繁栄を左右する脱工業化社会において、企業は大学に対する期待をよりいっそう高めている。そこには、入社の前も、そして入社の後も続くことになる「教育」を施すことによって人材の供給と育成に貢献するという意味だけではなく、実際に成果を生む「研究」のパートナーとしての意味も込められている。大学での教育を希望する人の数が増加し、求められる知識や情報の水準がハイレベルになってきている状況にあっては、教員1人に対する学生数の比率は悪化し、「教育機関」としての役割を果たすためのコストは増加することになる。そこでは、公共的な財源だけでは費用を賄えなくなるため、大学は別の財源を必要とする。その財源を拠出してくれる主体のひとつが、《民間企業および産業界》にほかならない。その結果、大学はまず第1に、「教育機関」として民間企業および産業界に、《学習機会というサービスや研究成果としての知識》を有料で提供するようになり、第2に「研究機関」として産学連携に取り組むようになる。

このような対応は、《大学と民間企業の関係が親密化するとか、基礎研究と応用研究の壁が低くなるとかといった、歓迎すべき展開》をもたらし、研究成果の迅速な市場展開を実現することで、一般的な消費者にもメリットをもたらすことも期待できる。しかし、トロウはこのような発展は、《現行の研究と教育のあり方に重大な問題を投げかけることにもなる》と懸念する。つまり、《大学の自律性》や《真理への誠実性》、《(研究者の)大学への帰属意識の低下》に対する影響である。

大学と企業は、形式的には「対等」な関係で互いを「パートナー」と認識するかもしれない。しかし、現実的には企業は「スポンサー」であり、企業は自らの経済活動における成果やリターンに期待して「投資」をしているという事実は根強い。だから、研究テーマの決定は、通常企業の側に主導権があるし、自身にとって都合の良い結果が出なさそうであれば、提携を解消することもあり得る。それは、いうなれば商業化された「請負型」研究であり、《大学の自由な雰囲気を脅かし、短期的な成果を約束しにくい長期的研究を遂行しがたくさせる》ことにつながる。

また、そもそも「研究」活動を行う主体はもはや「大学」だけではなく、「企業」や国家戦略に位置づけられた公的な「研究(専門)機関」が学術的な成果を生んでいることを忘れてはならない。「研究」が国家や企業の威信と存続を左右する資源である脱工業化社会においては、《大学だけが研究活動を独占的に推進する余地》はますますなくなっている。《実用性志向の応用研究》=分かりやすい「成果」を生む研究は、その利益を直接的に得るであろう主体が推進し、《研究の機会は社会のさまざまな機関に広く分散する》。そのような中にあって、自らのキャリアを積み重ねなければならない研究者たちは、研究できる機会を求めて、《学外の学会、細分化された専門分野、研究チーム、産学提携の相手、連合団体》によりいっそうの注意を注ぎ始める。くわえて、《学生の関心や能力における多様化、学生の専攻選択における移り変わりの激しさ》から学習内容が「市場」に委ねられる、《商業化》された教育機関としての性格は、《年間契約の非常勤教員や在職権のない教員》の数を大きく膨らませている。こうした状況は、《科学者や学者としての意識が自分の所属する大学への帰属感を弱めさせ、大学をコミュニティとしてとらえる一体感の喪失》を引き起こすことになるのである。

大学・学位の存在意義と「成果」の評価

大学は「企業」や「研究(専門)機関」によって「研究」という特質を剥奪されつつあるだけではなく、同様に「教育」という固有の機能もまた相対化している。オンライン上には、科学的知見をまとめて自社の製品の良さをアピールするWebサイトや自身の成果を公表する研究機関のHPが山のように存在する。それは、まさに「知」の解放であり、学術的な知見を伝達する機能は、誰でも担えるようになっている。そしてトロウは、《遠隔地で授業を受ける学生たちの多くは、成績評価や大学の証明書を求めているというよりも、技術や知識の獲得を求めている》とまで言う。そのような中で、果たして大学を卒業したことの証である「学位」とはいかなる意味をもつのだろう。従来の大学は《何らかの資格を求めて入学してくるある一定の人数の学生を教育するために、明確な資格をもった教員を雇っていて、一定の規模のうちに収まっている》ということを前提とし、その中で培われた「教養」と「専門知識」が個人の中で体系的に組み合わされることで、未来を担うべき「主体」を形成してきた。しかし、欲しい情報を個別に入手できる状況にあっては、講義内容の習熟度を図る「単位」には意味があるかもしれないが、そうしたサービスに終始しようとするのであれば、それが《「大学」として適正か否かを認定すること、すなわち基礎認定すること》は困難と言わざるを得ない。このような状況にあっては、従来のように《大学の自律性にもとづく質の管理という方式を弱体化させ、大学主導の自己評価方式に対する政府の信頼性を減少させる》。そこで登場するのが、《外部評価および外部からの管理》であるが、残念ながらそうした努力を結実させることも難しい。「知」へのアクセスの動機はさまざまで、単に情報や知識を得ることがゴールではなく、それらをいかに新しいアイディアにつなげられるかが問われることもある。地域を舞台としたフィールド・ワークを行い、地域の課題を見つけ、それに対する解決策を考えるという授業もある。それは努力の多少が成果につながるとも限らない、偶然性を含んだものになり得る。端的に言えば、そうした教育の「成果」は、《試験や資格で証明されるのではなく、個人の仕事の出来栄え、あるいは特定の機能やサービスを担当するチームの業績にもとづいて評価される》。それは、大学(の講師陣)が一義的に決めることのできない多様な「尺度」しか測れない代物で、客観的な指標を設けることは難しい。それゆえ、外部の評価や格づけ業者などは、《大幅に後退する》ことを受け入れざるを得なくなってくるのである。

「実験」としての「ユニヴァーサル型」への適応

このように、現在の高等教育における教育形式の固定化や標準化への試みは《絶えず制約》を受ける状況になっており、したがって成果の評価についても定評のある手法は存在しない。これは、現在世界中の大学が直面している課題であり、特にヨーロッパの総合大学にとって切実な問題となっている。なぜなら、ヨーロッパでは、今まさに《マス型高等教育の管理運営に懸命に適応しょうとしている過程にあり、まだ十分適応に成功しているわけではない》からである。トロウによれば、「ユニヴァーサル型」の教育形態は、《マス型高等教育システムとは全く異なった構造の管理運営を必要》とする可能性が高いが、現状では急な変化や危機に対処できるだけの《果断な行動をとれる強力な指導体制》を確立できていない。しかし、社会の期待とプレッシャーは容赦なくのしかかってくる。だから、それは《切実な問題》なのである。

彼によれば、このような課題を解決できるのは、《法令や州政策》ではない。そうではなく、《それぞれの課程ごとの教育上の性質と目標、消費者内の知識・情報市場、さらには学生や学習方法に関して最も精通している教員の判断》こそが必要とされていると彼は言う。それは、社会的な実践をつうじた「実験」であり、ひとことでいえば、「試行錯誤によって泥臭く確立していくべきもの」である。だから、政府や市民は、ほかのあらゆる種類の実験と同じく、「失敗」の可能性もあり得るということを十分に理解しながら、《機関と機関内部の人々に自由と資源を与え、下からのイニシアチブで、さまざまな方向に実験を行えるようにする》ことが必要であると認識しておかなければならないと言える。

これからの高等教育:希望と展望

以上のように、高等教育には現在、「ユニヴァーサル型」という新しい類型が確立されようとしている。このような時代状況にあって、高等教育機関は大幅な変化と改革を求められている。しかしトロウは、すべての人が自宅や職場から大学のWebサイトにアクセスしたり、知識や技術の習得に終始するとは考えない。むしろ彼は、「『大学』という存在がもともともっていた利点や理念は変わることなく生き残っていくだろう」と考えている。彼にとって、実空間としての大学は、人々が肩を寄せ合い、《社会的にも個人的にも互いに仲間を求めるという欲求》を満たし、《同席したいと願う気持ち、そして集うことによってのみ叶う期せずして深まる交流や自然に結ばれる絆》を得ることができる場所である。それは、国際会議がインターネットを利用して開催されることとは質的に異なる価値を体現する時間となる。このことは、トロウが大学について考えるうえで最も重視している「大学の存在意義」であるように思われる。

彼は、大学への《ユニヴァーサル・アクセス》という言葉を《高卒者の進学率の拡大、あるいは成人が生涯のいずれかの時点で、正規の大学に入学し在籍すること》と理解する。IT技術の発達は知識や情報へのアクセスをより簡単にしたが、そうであるからこそ、「大学」に集う人々はそこに集う意味を積極的に見出すべきであると彼は考える。彼にとって、現在「大学」へとアクセスすることは《必要と興味に応じて、さまざまなトピックについてコンピュータあるいはネットワークを通じて、必要に応じて学習に参加するということ》を意味する。それは、単なる《在籍(atendance)》ではなく、仲間と対話を交わし、刺激を与え合う《参加(paticipation)》ができるチャンスが広がったということでもある。とくにヨーロッパでは、《統計上ではフルタイムで大学に在学していることになっている学生数の相当の部分が、一時的に休学し、その間に働いたり、自由な生活をしたりしていて、事実上のドロップアウト状態》にある。そこにはさまざまな原因を見出すことができるが、彼はとりわけ学生の「自発性」を強調する。大学進学率の上昇によって、大学への進学は適齢期にある人々にとって、ある種の「義務」にもなっている現実があると言われている。だが、そうやって《規則的に在学することを押しつけるということは、社会的にも必ずしも望ましいこと》ではない。大学での学びに意味や楽しみを見出だせない人は、あまり勉強せず、不本意な現実に不満や空虚さを覚え、《本来であれば、彼らの両親に向けるべき反抗を大学当局に向けるということも起こってくる》。だが、彼は厳しい「父親」としてそう言うのではない。そうではなく、《高校卒業後、直接に大学に入学しなくても、いったん社会に出てそれから大学に入るという形態を積極的に認めてもよいのではないか》と考える。いつでもどこからでも「大学」に集うことができる。いつでも可能性は開かれていて、志ある者を拒むことはない。それは合理的な「母親」としての態度である。

彼は、これからの大学が重視すべきなのは、既にある「果実」を与えることではなく、「種」をまくことだと考えている。これからの大学は《ほかの教育機関よりも集中的に、高度な難問や複雑な事柄を採り上げ、そしておそらく深く専門性を追究して教育が継続的に行われるところ》として、とくに《その成果が社会において実用化される可能性に乏しい研究、または人文科学系の学問》において、他の追随を許さない優れた実績を収めるだろうと予想する。《傑出した能力をもち、豊かな専門的知識をそなえた科学者・研究者を養成する大学院教育》は大学だけが担える役割であり、そこで育った人々は、大学に限らないさまざまな教育研究機関で活躍する。高等教育は、人々の《視野を広げ》、《他人のまねごとではない、自分自身のアイディアをもち得るということを教える》。そうやって《彼らが、独自に効率的にものを考える能力についてどれほど自信をつけたかを、公式な評価を通じて測ることはできない》。彼は、《われわれのように学問を職業とする知識人のみが、独自に効率的にものを考える能力をもっていると考えるのも誤りでありうぬぼれである》と述べる。限られた数のエリートだけでは、もはや社会を変え、前進させることはできない。既存の知は、実践の中で揉まれることで洗練されていく。だから大学の中で学んだことが《大学の壁の外、われわれの手の届かないところで身につけられた力や経験と複合して発現するのは避けられない》。これからの大学に必要なのは、職業をもつ者やビジネスに携わる者に《大胆で斬新な視野でものを考える上での先進性、独自性、能力》を伸ばしてもらうことである。そこに必要なのは、人々が《自分が新しい発想をもち得るという自信》をもつことであり、高等教育を受けたことによる実際的な効果は、《卒業生の人生全体に影響を及ぼすものである》。

生きがいの源泉と民主主義の基盤としての「知」

大学の秋スタート化や大学入試改革など、日本においても大学教育をめぐる議論は活発であり、理化学研究所をはじめとした研究機関もグローバル化時代における存在感や影響力を高めようと日々研究を重ねている。進学率は上昇したにもかかわらず、企業(を中心とした雇用者)側の受け皿が縮小したために発生する大卒失業者の問題。ある大学が英語の授業でbe動詞を教えていたことが発覚した問題。大学選びの際に、「就職率」がひとつの指標となり、「就職率ランキング」が注目されていること。MOOCs(Massive Open Online Courses/インターネット上で誰もが無料で受講できる大規模な開かれた講義)の登場など、日々私たちの耳に入ってくるニュースをほんの少し思い起こしてみるだけでも、トロウの分析が現に進行している現実を的確にとらえたものであることが分かる。

日本社会における大学は、トロウのモデルから大きくはずれることなく、富国強兵を目指した明治期における「エリート型」からはじまり、高度経済成長期あたりで「マス型」を迎え、そして現在、「ユニヴァーサル型」への適応を迫られている。そんな時間軸の中で、私も適齢期に大学へと進学した。それは、幸いにしてトロウの言うような「義務」からではなかったが、それでもそれが「普通」だからという目的意識に欠ける理由ではあった。専攻する学科も、将来の進路を見据えていたわけではなく、ただ自分の偏差値に照らしあわせて、最も高いところを受験しただけであった。心理学者エリク・エリクソンは、現代の大学生にあたる発達段階を「アイデンティティの危機」と表現した。つまり、それまで保護者や学校に保護され、小中高という制度の中で、与えられた課題をクリアしていけばよかった段階を終えて、自分の力で自分の行末を決断しなければならないことに悩む時期である。私も就職すべき時期が近づいてきた段階において、学科選びでの目的意識が不明確であっただけに、その学科を出た人の多くが当然進むであろう業界に対する思い入れもなかった。結局その業界で職を得た今となっては、この状況に適応しつつあると思えるが、往々にしてその後40年近くの人生を費やす道を決める段階にあっては、自分に特段の思い入れがない仕事をしなければならないとすれば、自分は確実に精神を病むだろうと予想することができた。ようするに、相当に「イヤだ」と思っていたのである。そういう意味で、私は「就職に備えるためにある大学」をうまく活用できず、ジレンマに対処することには失敗した。しかし、それでもなお、私は大学で数年間を過ごしたことは人生において大正解であったと確信している。なぜなら、私は学び・考えることの楽しさを知ることができたからである。きっかけは、大学2年の夏休みに、あまりにもすることがないので暇つぶしのために図書館の本を借りたことであった。それまでの人生では本なんてほとんど読まなかったが、そこを境に私は教養を高めることにのめり込んだ。最初は新書レベルの軽い本だけであったが、今ではこうして深く学問の世界に浸り、その醍醐味を味わうことができるようになった。それが仕事に役立つかどうかは分からない。何に活かせるともしれない。しかし、この特異な「趣味」は、その源泉が決して尽きることはない。私は特に思い入れもない仕事をする状況に適応はしているかもしれないが、そこには生きるうえでの活力の源泉は存在しない。これは決して、私だけが例外ではないと思っている。今の「若者」は、ひとことでいえば、幼い頃から「自由」を享受することができている。「自由」とは、「他人の都合に巻き込まれないこと」にほかならない。個々人は、それぞれに「好きなもの」や「趣味」をもち、それをひとりで楽しむ術をもちあわせている。「誰かがいなければその寂しさに耐えられない」といった集団の存在を前提とした脆弱な自我ではなく、孤独の中においても「自分」を保っていられる精神の持ち主なのである。そんな中で、仕事とその中での人間関係は、「他人の都合」の最たるもので、それに支配される人生は、必要最低限に留めなければ、自分の精神に危機を迎えるハメになる。現代を生きるうえで、重要なのは自分の人生を費やすべき「思い入れのあるもの」を見つけることではないだろうか。それは別に、趣味でなくて仕事でもいい。とにかく、何もしないで過ごすにはあまりにも長い人生を満たしてくれる、「自分」を保つ源泉となるなにかを、公私いずれかに確保する必要がある、と私は思う。私にとってのそれは、「学び」である。だから私は、高等教育への「参加」に積極的な意味を見出そうとするトロウの思想に共感を覚える。

むろん、高等教育が万人に開かれることには、個人の楽しみだけではない、社会的な意義がある。「専門家」の「正しさ」は決して絶対的なものではあり得ないということが、一般の人々にも浸透している状況にあって、知、情報、言説、技術は狭い「ムラ」に独占されるべきではない。アメリカの政治学者C.B.マクファースンは、現在かくある「均衡的民主主義」ではなく、J.S.ミルが唱えたような「参加民主主義」へと移行すべきであると主張している。民主主義は、平等な投票の権利が認められればそれで実現されるわけではない。「民主的」という言葉を簡単に噛み砕いて表現すれば、それは「集団としての意思決定をする際に、その成員たる個々人が自らの意見を表明する権利と自らの考えを構築するための手段を保証される」ということになるだろう。無知な民衆が専門家に事実上支配されている社会は決して、民主的とは言えず、民主的でない社会は内外に対して敵対的である。「知」の解放は、民主的な市民社会を実現するうえで、十分条件ではないかもしれないが、少なくとも必要条件ではあり得るだろう。トロウは《格別の高等教育機会、とくに大学でなければ供給できないような教育機会を保障するための費用負担に関しては政府の役割が重要で、それが大学の存続を左右することは変わらない》と述べる。囚人のジレンマ的な状況において、非民主的な集団の敵対行動に釣られて民主主義を標榜する国家も非民主化しているのが、世界の現状であろうが、少なくとも建前として「民主主義」を掲げいている政府は、市民への「知」の解放を誠実に推し進めていく義務を負っていると言えるだろう。

参考文献

  • マーチン・トロウ著『高度情報社会の大学:マスからユニバーサルへ』,喜多村和之 編訳,玉川大学出版部, 2000.05.(原書:1999),全278ページ

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大学時代に読書の面白さに気づいて以来、読書や勉強を通じて、興味をもったことや新しいことを学ぶことが生きる原動力。そんな人間が、その時々に学んだことを備忘録兼人生の軌跡として記録しているブログです。

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